松本清張は菊池寛の文学形成に関して、二つの要素を挙げている。一つは貧しい家で育ったこと、もう一つは醜男であったことだというのである。教科書も買えなかったことで、読んだ本をすっかり覚えてしまうほど、暗記力に優れるようになった。知人の好意で学費を出してもらい、その有り難さを身に染みて感じていた。「醜男だから人から可愛がられるように」と母に言われたトルストイの体験が、菊池寛には他人事とは思えなかったらしい。だからこそ、人の情けを深く知るようになったというのである。
菊池寛は第一高等学校をやめ、京都大学に入学した。東京大学に進んだ芥川龍之介や久米正雄から、『新思潮』の同人になるように勧められたことが、作家となるきっかけとなった。それを有り難く感じたからこそ、若い人たちに作品発表の場を提供するために、『文藝春秋』という雑誌を創刊したのだという。
夏目漱石や芥川龍之介は書斎派で、書物を読んだ知識や、機知、パラドックスで人気を博したのに対して、菊池寛の場合には、人生経験の裏付けがあったという。親友から「菊池の英語は大したことはない」と陰口を言われたことを、自然主義の作家のようにそのまま書くのではなく、徳川家康の孫でありながら、人間不信に陥って乱行に走り、改易された松平忠直に重ね合わせて「忠直卿行状記」を書いた。
批評家は菊池寛が歴史をひっくり返して小説を書いたと批判するが、歴史の文書に書かれた表面から、裏側を洞察したものが菊池寛の歴史小説だと、松本清張は喝破する。つまり、菊池寛の小説には、人生経験の裏づけがあるからこそ、本当の価値があるというのである。
人口に膾炙したような作品こそが、後の世になっても人々に読まれる。そのような小説を一つ書かなければならないと、菊池寛は述べていたという。松本清張によれば、それは夏目漱石の場合「こころ」ではなく「坊っちゃん」だという。森鴎外の場合は、一部のファンには「阿部一族」や「高瀬舟」は読まれていくだろうが、「坊っちゃん」のような作品は残せなかったという。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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