2023年04月13日

「と」「ば」「たら」「なら」の違い

 人間は似ていることを区別するのが苦手である。フランス語を勉強していた頃、フランス語の単語を思い出そうとすると英語の単語が浮かび、英語でしゃべろうとすると、フランス語の単語が邪魔をした。
 同じようなことは、中国人の日本語学習者が、日本語で文章を書いているときにも起きる。中国語の簡体字が混入してしまうのである。また、中国語で話しているのに、日本語の漢語が混じってしまい、国の友人に怪訝な顔をされたという話も聞く。
 松尾芭蕉の俳句に

 物言へば唇寒し秋の風

というのがある。
 人の短所を言ったりすると、後味が悪いものだという格言のように使われるが、「物言へば」の部分は、現代語なら仮定条件を表す「仮定形」で「物を言うなら」だが、芭蕉の俳句は文語だから「已然形」で確定条件となり、「物を言ったので」ぐらいの意味となる。
 文語の場合、仮定条件を表すなら、「未然形」に接続する。「物言へば」ではなく、「物言はば」となるのである。慣用句の「言わば」は、「たとえて言ってみれば」という意味で、現代語なら、仮定形で表されるところなのである。古典の授業で習ったことを忘れると、この辺の違いが分からなくなってしまう。

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥
  わが思ふ人はありやなしやと

 東京の浅草に言問橋という橋があるが、この和歌は『伊勢物語』の中で、在原業平とされる主人公が、都鳥という名の鳥に向かって、「名前に都とついているなら、都鳥よ、質問しよう、私の大切に思う人は無事かどうか」と問うたものである。都鳥というのはユリカモメのことで、「これなむ都鳥(これこそ都鳥です)」と聞いたばかりだからこそ、「名にし負はば(名前についているなら)と、詠んだのである。

 現代語の「春になれば桜が咲く」は、文語の已然形に由来する「恒常条件」である。「春になると桜はいつも咲く」のである。一般に、「ば」を従属節に用いる表現では、主節に意志や希望、命令の表現は来ない。
「もし雨が降ってくれば、キャンプは中止しなさい」は非文となる。その場合、「もし雨が降ってきたら」というのが正しい表現となる。にもかかわらず、従属節の用言が「ある」など状態性の動詞や形容詞なら、「質問があれば、手を挙げてください」「安ければ、買いたいです」と言えてしまうのである。
 このように、「と」「ば」「たら」「なら」の区別は煩瑣を極め、日本語話者であっても、文法的な使い分けを説明するのは、容易なことではない。
 そこで、「基本的な用法」と「応用的な用法」に分けて整理してみた。網羅的に学習するのは難しいが、よく用いられる表現を一通り押さえておけば、自分が表現する際の誤用は避けられる。上級の日本語を学習している外国人学生や、日本語を教えている方は、参考にしていただきたい。

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2023年03月13日

漢字を廃止できない理由(2)

 韓国では現在、固有名詞以外は漢字を使わない。民族の文字であるハングルを使用すべきであるという思想があるからで、日常生活では漢字に触れずに暮らすことは可能である。ハングルは音節文字であるため、漢字の一字の音を、子音と母音の組み合わせで、一字で表記できるという利点がある。
 漢字を原則用いなくなったのには、ナショナリズムが大きく関係している。ハングルという民族の文字が有るのに、どうして漢字を用いなければならないのか。漢字は中国語の文字であると同時に、日帝時代に日本語を強制された記憶とも結びついているからである。
 ただ、大学などで高等教育を受ける場合、過去の文献を調べなければならないが、漢字が全く分からないのでは、研究の大きな足枷となる。また、日本語よりも複雑な音韻体系を持つとはいえ、韓国語の中には大量の漢語が含まれ、同音異義語をハングルだけでは区別できない場合がある。漢字を完全に廃止してしまった北朝鮮の場合は、さらに深刻な状況にあると思われる。
 北朝鮮と同様に、漢字を完全に廃止してしまった国にベトナムがある。フランスによる植民地支配を受けたベトナムでは、フランス人によってアルファベットと符号を用いて、ベトナム語を表記する方法が考案された。ベトナムが独立する際に、運動を指揮した人々の多くが、その表記方法でベトナム語を習得したため、漢字の廃止に対する抵抗はあまり起こらなかったようだ。ただし、過去の文献では漢字が使用されており、仏教寺院の中には漢字の表記が残っている。
 普通のベトナム人は、日常生活では漢字は使用しない。ただし、ベトナム人の名前は、ホーチミンを胡志明と表すように、漢字で表記することができる。大量の漢語がベトナム語でも用いられているため、日本語を学習する際に、漢字の習得は大きな壁とはなっていない。


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2023年03月12日

漢字を廃止できない理由(1)

 前島密は1866年(慶応二年)、将軍徳川慶喜に、「漢字御廃止之議」という建議書を提出した。欧米諸国に追いつくには、習得が難しい漢字が障害になると考えたからである。しかし、当時の公文書は漢文で書かれており、
その議論が本格的に取り上げられたのは、第二次世界大戦後のことである。日本に民主主義を行き渡らせるためには、漢字が大きな障害となっており、ただちに漢字は廃止できなくても、将来的に廃止することが検討された。そこで使用する漢字に制限をかけるとともに、表記が難しい漢字の多くは簡略化された。「學」は「学」に、「臺」は「台」に、といった具合に。漢字は当座使用するとされ、義務教育で教える漢字「当用漢字」が設定された。
 しかし、日本語で漢字の使用を廃止することは、事実上不可能だという結論に至り、当用漢字は常用漢字と名称を改めるに至った。現代の日本語は、重要な用語を漢字とカタカナで表記する。漢字をすべてひらがな、またはカタカナで表記した場合、漢語における大量の同音異義語が区別できなくなる。たとえ区別できたとしても、読解の速度が著しく低下する。漢字さえ知っていれば、専門的な用語であっても、大体の意味は推測できるが、仮名文字で書かれてしまったら、辞書で調べない限り、意味は全く不明となる。
 また、漢字が廃止されてしまった場合、古典や歴史などの過去の文献を、専門家以外は読めなくなり、文化の断絶が起こってしまう。したがって、日本語が使用され続ける限り、日本語から漢字の使用が廃止されることはないだろう。
 漢字の本場中国においても、中華人民共和国成立以後、漢字が国の発展の障害になっているという議論が起こり、漢字の大幅な簡略化が行われた。いわゆる簡体字の誕生である。将来的には漢字を廃止することも視野に入れていたと思われる。しかし、漢字の簡略化は極限までは進められなかった。一方、台湾や東南アジアでは、伝統的な字体、繁体字が今でも使用されている。
 中国のテレビを見ると、画面の下に話の内容が漢字で表記されている。中国語でも発音をアルファベットで表記するピンインが用いられているが、これは普通話である北京語を学習する上では必要だが、日常生活で用いられることはない。テレビで上海や香港の人民が、インタビューに応じた場合、漢字の表記がなければ北京や他の地方の人々には、何を言っているのか全く分からない。北京語を学校で教えられているとはいえ、日常生活で用いられているのは、その地方の方言だからである。漢字が話し言葉における方言の壁を、取り除いてくれているのである。漢字を廃止してしまったら、文化の断絶による喪失は、日本語の場合よりも大きいだろう。(つづく)


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