全体は三つの部分で構成されている。能登の大名に仕える若侍の友忠が、主君の命で京の都に向かう途中、吹雪に遭って一夜の宿を請う。そこで絶世の美女青柳と出会い恋に陥る。友忠は青柳の両親の許しを得て、妻となる青柳を連れて京に向かう。そこまでは近代的な小説の体裁を取っている。
ここで小泉八雲は、日本語の原文が一貫性が取れていないことを指摘する。そこまでで言及されていた友忠の母や、青柳の両親、能登の大名が、その後の場面に全く登場しないからである。物語の中で触れた人物を、全く登場させずに放置するのは、近代小説としては禁じ手だからである。
物語は一転して「昔話」の様相を帯びる。侍は主君の許しを得なければ、妻を娶ることはできない。それにはまず、京の都に行って、主君から託された務めを果たさなければならないが、同行してきた青柳を、有力大名である細川氏の従者に見つけられてしまう。細川氏は友忠に、青柳を差し出すように命じる。地方大名の家来に過ぎない友忠は、命の危険を冒して、連れ去られた恋人に手紙を送る。侍女となった青柳に内通したことが露見すれば、友忠は処刑されるはずである。案の定、友忠は細川氏に呼び出される。死を覚悟して参上すると、友忠と青柳の愛に感動した細川氏は、能登の大名に成り代わって二人の結婚を許す。ウラジミル・プロップの『昔話の形態学』が示すように、困難を乗り越えた主人公はついに結婚を果たし、物語は大団円に至ったかのごとく見える。
ところが「青柳物語」はさらに続き、結末で神話的な様相を帯びる。幸せな結婚生活を送っていた二人に、ある日突然別れの時が訪れる。青柳は断末魔の苦しみの中で、自身が人間ではなく柳の精であり、木が切られたことで死ぬと伝えて、姿を消してしまうのである。友忠は出家し、諸国行脚の雲水となる。青柳の生家を訪ねると、そこには家の跡もなく、ただ柳の老木二本と若い柳一本の切り株だけがあった。これによって、青柳と出会ってからの出来事は、すべて幻であったという仏教的な結末となるのである。
この世が夢に過ぎないとしたら、小説の中で触れた人物を、その後全く登場させずに放置するという禁じ手も、欠陥とはならないのである。このような物語の不思議な構成が、小泉八雲の興味を引いたのではないか。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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