2025年06月26日

鶴ヶ城とさざえ堂(5)

 石段を上り切ったところに、さざえ堂があった。高村光雲が本所の五百羅漢寺で見ていたのと同様で、さざえの貝殻に外観が似ている。本所にあったさざえ堂は、明治の初めの廃仏毀釈で壊され、中に祀られていた観音像も下金屋に二束三文で売られ、溶かされてしまうところを、高村光雲が数体守った話が残っている。
 飯盛山のさざえ堂は、建物自体は保存されているが、廃仏毀釈で正宗寺が廃寺となり、厳島神社の境内にあることから、神仏分離令に従って、祀られていた観音像は除かれ、道徳を説いた額が飾られている。金色の観音像が並んでいたら、さぞ壮観だったろうに。
 内部は二重螺旋構造となっており、滑り止めのついた坂を上っていき、上り切った所でもう一つの螺旋を下っていくから、上る人と下る人がはち合わせにならない。世界的にも珍しい構造が、江戸時代の日本で造られたというのは驚きである。(つづく)


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posted by 高野敦志 at 00:59| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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