2025年06月06日

鶴ヶ城とさざえ堂(3)

 会津を治めた蒲生氏から、最後の会津藩主松平容保までの肖像画や写真が飾られていた。幕末の動乱の年譜、禁門の変で長州が朝敵になり、京都守護職の松平容保の配下である新撰組が、池田屋事件などで長州藩士の恨みを買い、大政奉還、鳥羽伏見の戦いなどを経て、戊辰戦争に巻き込まれるまでの史実が説明されていた。
 白虎隊の少年兵も敗退し、生き残った者が飯盛山に登ると、鶴ヶ城が夕日を浴びて赤く見えた。ついにお城も焼けたかと思い、お互いに刺し違えて集団自決をした。そうした展示を、中国人の観光客も見ていた。日本史や侍に興味があるのだろうか。三国志が好きな日本人みたいなものか。
 最上階からは会津若松市街が見下ろせた。城内にあった茶室、麟閣も見える。これは戊辰戦争後、城下に移築されていたのを、元の場所に戻した物だという。千利休の子、少庵(しょうあん)が会津に匿われていたことで、千利休の茶道が世に伝えられることになった。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

X(Twitter)
https://twitter.com/lebleudeciel38

Telegram
https://t.me/takanoatsushi

GETTR
https://gettr.com/user/takanoatsushi

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



人気ブログランキングへ







ランキングはこちらをクリック!


X(Twitter)、facebookでの拡散、よろしくお願い致します!
posted by 高野敦志 at 00:53| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: