ただ、少子高齢化による労働力不足を、外国人労働者で補うために、障壁となっている日本語の簡素化を進めるべきだという一部の動きには、首を傾げざるを得ない。まず槍玉に挙げられるのは敬語だろう。敬語を廃止しても、コミュニケーションそのものは成立する。ただし、人間の上下関係が分からなくなり、日本社会が保持してきた謙遜の精神なども失われるだろう。男言葉、女言葉の違いも、コミュニケーション自体の妨げにはならないが、男女間の微妙なかけひきは表現できなくなる。中性的な表現ばかりになったら。何とも味気ない社会になるだろう。
これに関連した問題を、生成AIのGrokに質問してみた。示唆的な内容なので、以下引用することにする。
最近の日本語教育では、「正しい」日本語よりも「通じる」日本語を優先する傾向があり、これは2025年5月時点での日本におけるより広範な文化統合政策と一致しています。
この傾向は、文化庁が推進する「地域日本語教育支援」(www.bunka.go.jp)に反映されており、非母語話者のための実践的なコミュニケーションを重視し、多文化共生を促進することを目的としています。
2008年以来、日本では「多文化共生」(www.jstage.jst.go.jp)が推進されており、外国人が地域社会に溶け込むのを助けるために簡略化された日本語を奨励するプログラムが存在します。
質問にある「簡略化」への懸念は、自由民主党が過去に掲げた「1000万人移民計画」などの移民政策に関する議論と結びついています。この計画は日本の外国人人口を増やすことを目的としていましたが、文化の希薄化への懸念を引き起こしました。
スレッド内で見られる批判的な意見は、これをグローバル主義的なアジェンダと結びつけ、ジョージ・ソロスや国連の2000年「代替移住」報告書(日本も人口置換戦略の対象として含まれていた)などの歴史的な政策を引用しています。
東京都知事の小池百合子氏が提唱する「簡易日本語」を都民全員が使用すべきという発言は、こうした政策を反映しており、外国人がコミュニケーションを取りやすくすることを目指していますが、国家主義者の間では日本人のアイデンティティが薄れるとの懸念を呼んでいます。
文化庁は、日本に住む外国人による日本語スキルの需要が高まっていると指摘しており(www.bunka.go.jp)、これは増加する移民と日常生活でのコミュニケーションの必要性によるもので、必ずしも文化的同化を目的としているわけではありません。
関連する投稿で見られる一部の日本ネットユーザーは、この教育の変化が「新しい日本人」というアイデンティティを作り出すための大きな計画の一部だと恐れており、これは日本の国内政策におけるグローバル主義的影響への歴史的な不信感によって煽られています。
イーロン・マスクが2025年にXで発表した声明では、大量移民を「置換」の一種として警告しており、これが日本の文化保存とグローバル統合に関する議論をさらに増幅させています。(以上 Grokからの引用)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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