アイヌは日本とロシアの間で翻弄された。北千島のアイヌは色丹島に強制移住させられ、千島・樺太交換条約では、樺太アイヌが北海道に移住させられた。南樺太が日本領になると帰還を許されたが、第二次大戦後でふたたび北海道への移住を余儀なくさせられた。そのため、千島と樺太のアイヌは、ほとんどいなくなり、樺太(サハリン)に残った少数のアイヌはロシア人に同化してしまった。したがって、アイヌ文化が伝承されているのは、北海道だけとなった。
コタン広場では、イヨマンテ(熊送り)の歌と踊りが始まろうとしていた。それに先立って、アイヌの男性が「ピリカ」という意味を知っている人と言うので、僕が手を挙げて「美しい」と答えた。その後、「ピリカ」の歌がアイヌの女性によって歌われた。小学生の頃、唱歌集に載っていたので知っていたのだ。
その男性は、アイヌ語が流暢に話せる古老から、直接アイヌ語を習ったのだそうだ。その頃、多数の動画が記録されたので、現在のアイヌの若者は、その記録をもとにしてアイヌ語を習っているのだという。(つづく)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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