ここで気になったのは、プラスの面だけ見ていれば、幸運が舞い込み、努力せずにお金が棚ぼた式に手に入るという考え方である。物事を推し進めるには、何らかの行動が必要なはずだが、お祈りだけしていれば幸せになるといった、新興宗教的な空気が感じられたからである。
もう一つ分からなかったのは、愛や感謝をする主体は誰かということである。こうした疑問に答えてくれるのが本書である。そこでは、意識は思考と区別されている。意識とは死を越えても残るもので、思考とは現実と信じているイメージに対する反応である。ここでいう意識とは、仏教でいう悟りの境地のようなものだろう。
現実の世界が、意識と対峙して存在するのではない。意識が生み出したイメージが世界なのだという。現実にある量子的な波動に、意識が解釈を加えて見ているのが世界であり、物質だというのである。この星や太陽系なども、すべては空想の産物であり、知覚する肉体が死ぬと、量子的な波動に戻ってしまうが、意識だけは残るというのである。
この意識は個人的な魂ではない。普遍的なものであり、いわば創造主の意識である。たとえ不幸に見舞われたように見えても、意識にとっては観察の対象でしかない。普遍的な精神は愛そのものであり、それを知れば、心は幸福に満たされる。一種の汎神論であって、すべての存在は神である。今こうして意識しているのも、創造主である神の意識だというのである。
したがって、死は存在しない。意識は肉体の死後も存続する。自身が創造主であるという秘密を思い出すのが悟りであり、それを知らないと、肉体を持った存在として、輪廻を繰り返すことになる。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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