夏休みの課題で、フランス語に翻訳したい日本語を準備しておくようにとおっしゃったので、僕は北海道旅行したこともあって、アイヌ人の風習に関する文を提出した。その授業には、森孝雅氏も参加していた。森氏が提出した文章を見て、市川先生は「これ、ほんとに自分で作ったの? 小説の文章としか思えないんだけど」とおっしゃった。森氏は現在、三輪太カのペンネームで小説家、文芸評論家として活躍している。
大学院の修士課程に入った僕は、ジョルジュ・バタイユの研究を始めたわけだが、思想家であり、小説家でもあったディドロの『ラモーの甥』に興味があったので、二年連続市川先生の授業を受けた。その授業の中で、僕はディドロの芸術論の根底にある、美のとらえ方を学んだ。
ディドロが語る理想的な美は、実在する個々の事物から優れた部分を抽出し、それを巧みに組み合わせることであり、素朴なリアリズムにとらわれていた自分に、美を創造する方法を教えてくれた。
また、ディドロが愛人ソフィー・ヴォランに宛てた書簡では、死後に肉体を失った二人の魂が一つになるさまが綴られ、知性偏重に見られがちなディドロのロマンチストとしての側面を知ることができた。
結局、僕はフランス語の実力に絶望して、フランス文学の研究を、修士論文を書いただけで終えてしまった。その後も、市川先生は僕の将来の身の振り方について、気を遣ってくださったのだが、ちょっとした行き違いから、先生を怒らしてしまい、そのままになっていた。
早稲田大学を退職された後は、国内外で教鞭を執られ、二〇一六年(平成二八)に瑞宝中綬章を受賞された。二〇一九年(平成三一)に逝去。従五位に叙勲された。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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Twitterから辿り着きました
父の事が書いてありましたのでおどろきました
はじめは微笑ましく読ませていただいておりましたが、
父が怒ったくだりで失礼ながら大笑いしてしまいました
と申しますのは、生前父は怒って色々なところで
トラブルが絶えなかったため、
些細な事で怒るところも含めて父らしいなと、
思ったからです
せっかく良い関係を築いていただいたにも関わらず、なにかとご迷惑ををおかけしたのではないかと思います
お詫び申し上げます
お世話になりありがとうございました