2025年02月03日

山本剛トリオの《A SHADE OF BLUE》

 アルバムのタイトルは、青の色調ということなのだろう。山本剛トリオのアルバムでは、《Misty for Direct Cutting》とともに、ハイレゾでの配信とともに、MQA-CDの形で販売されている。CD音質では、ピアノの倍音までとらえきれないのではないか。
 1曲目のSpeed Ball Bluesは、リズミカルで明るい楽曲。名前の示す通り、スピーディーで快活な、滑るようなメロディーが続く。やがてベースのみのソロとなるが、ピアノとドラムが加わって、次第に勢いを高めていく。
 2曲目のSpeak Lowは、コルトレーンの悲痛なサックスの調べでよく聴いた。このアルバムでは、管楽器がないためか、悲しみを覆い隠し、明るく振る舞う叙情的な曲調に変わっている。
 3曲目のThe Way We Wereは、映画「追憶」の主題歌。物静かな中に内面を見つめるまなざしが感じられる。
 4曲目のLike Someone In Loveは、あえて不協和音を際立たせ、メロディーをアレンジしながら始まる。原曲よりはかなり速いテンポで、ピアノのキーを強く響かせつつ、ドラムの勢いとともに高まりを見せていく。
 5曲目のBlack Is Colorは、短調のメロディーの楽曲で、小さな波が次第に強さを得ていくのだが、上り切った坂をゆっくり下りるとともに、スピードを落としていく。
 6曲目のGirl Talkは、女の子のおしゃべりを模しているのか、高音のキーを小走りで滑っていく。メインのメロディーに入ると、愁いを含むように、ゆったりとした歩みに変わる。強弱の減り張りが効いた演奏である。
 7曲目のMidnight Sugarは、真夜中をイメージしたベース主調の静けさの中に、ピアノの目まぐるしく速さの変わるキーの響きが、見事なコントラストを醸し出している。
 8曲目のLast Tango In Parisは、ラテンアメリカ音楽の情熱が控えめである。ヨーロッパ的な洗練された曲調は、知的に効果を計算されたかのように、冷徹なまなざしを感じさせる。力強いドラムの響きがしばらく続いたのち、元の愁いを帯びた曲調に戻っていく。
 9曲目のMistyは、ハンク・ジョーンズの淡々とした中に秘かな思いを込めたメロディーで親しんできた。山本剛はいくつかのアルバムでこの曲を演奏している。それぞれ微妙な違いはあるが、ピアノのキーを強く響かせ、華麗さを前面に出した演奏をしている。このアルバムの中でも、この曲がとりわけ冴えが際立つ。
 10曲目のBye Bye Blackbirdも、よく知られたスタンダードである。コルトレーンの演奏では、メロディーが次第に解体されていき、胸が引き裂かれるような痛ましさを感じさせられたものだ。山本剛の場合は、明るさと力強さ、リズムが際立ち、このアルバムを締めくくるにふさわしいエネルギーが感じられる。
 なお、Amazon Music UnlimitedやQobuzでは、44.1kHz/24bitで配信されている。演奏そのものは、192kHz/24bitで収録されたが、MQA-CDの場合は、デコードすると176.4kHz/24bitの曲となる。


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2025年02月02日

石原慎太郎の「ヨットと少年」

 幼くして母を失った少年は、ヨットに憧れを抱いていた。ヒギンズ夫妻に可愛がられた少年は、夫妻のヨットに乗せてもらい、ヨットレースに参加した。少年にとっては、ヨットは亡き母、もしくはまだ見ぬ恋人の象徴だった。
 自分のヨットが持ちたいという想いで、お金をごまかしたり、他の生徒から巻き上げたりした。ヨットは少年にとっては、祈りの対象のような物で、ヨットのためならいかなるイカサマも許される気がした。
 ある日、少年は春子という娼婦と夜を共にする。それは女という物を知らなかった少年には、初恋のような対象だった。ヒギンズ氏の計らいで、中古のヨットを手に入れた少年は、春子をヨットに乗せる。それはヨットと恋人を同時に我が物にした至福の時だった。
 しかし、娼婦である春子は、少年と馴染みになる以前に、多くの男たちの慰み者だったのである。その話を聞いた少年は、ヨットという神聖な存在を、男たちに穢された屈辱を味わう。彼らが乗りこむヨットに細工を施し、荒波で転覆するように仕組んだのである。もくろみ通りヨットは遭難した恐れが強まった。ところが、親友の時次が乗りこんでいたことを知り、死を求めるかのように、自身のヨットで荒海にこぎ出す。
 少年はヨットのためなら、非道なことでも何でもやらかすが、ヨットを愛する気持ちでは、他の誰よりも純粋だった。親友を遭難に巻き込んだことを知ると、何も顧みずに助けに向かった。犬死に終わることも恐れずに、ヨットをこぎ出さずにはいられなかった。その純粋さこそがこの小説の魅力であり、成人すればほとんどの若者が失ってしまうものである。短編集『太陽の季節』に収められた小説の中で、この作品が最も美しく感じられた。


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