拳闘に打ち込む竜哉には、自分では処理しきれない力の躍動を感じる反面、恋人となる英子には顔がなく、そもそも人間臭が感じられない。それを正当化するのが、「すべての感情は物質化してしまう」とか「恋は戯画的な意味合い」を持つという語り手の主張である。
とにかく、すべてが即物的で、行動しかないのだ。女は青年たちにとって「欠くことのできぬ装身具」である。とりわけ、竜哉にとっては女は玩具だった。「自分の好きな玩具を壊れるまで叩かなければ気のすまぬ子供に過ぎない」のである。妊娠させた英子に中絶をさせたあげく死なれると、「一番好きだった、いくら叩いても壊れぬ玩具を永久に奪った」として、英子の遺影に香炉を叩きつけ、拳闘のパンチングバッグに現れた英子の幻影を、夢中で殴りつけたのである。ばかばかばかと泣き叫ぶ幼児のように。
お座なりの描写と会話、語り手の長広舌で物語は展開していく。しかも、肝心の英子の妊娠と中絶、そして死を、取って付けたようにあっさりと済ませてしまう。粗筋だけ見るとたわいないし、引き込まれるような描写も少ないのだが、この作品が人気を博したのは、どうしてだろうか。
陰茎を外から障子に突きつけたという、刺激的な描写も要因の一つだろうが、これはのちの作者には使えぬ手である。竜哉と英子の恋愛ゲームや、自分がしたいことをしたいように行い、ヨットで夜の海に漕ぎだして、酒を飲んだ上に、海に飛び込んで恋人と戯れたりなど、若者の空想を刺激して、現実ではかなわぬ行為を、想像力の中で実現してくれるという点である。恋人との悲恋が女性の涙を誘うのだとしたら、この作品は若い男がやってみたい冒険を仮想的に体験させてくれる点で、カタルシスが極めて強いのである。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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