2024年02月15日

Web新潮libraryの『作家自作を語る』

 これはエキスパンドブックに、今は亡き作家の肉声を収めたCD-ROMで、WindowsXPまでは開くことができたが、Windows10や11では電子書籍として閲覧することができない。ただし、作家の肉声は聞き取ることができる。四半世紀前に購入した物の中で、特に印象に残った作家の声について、感じたことを以下に記すことにする。
 安部公房は『密会』において、妻が救急車で連れ去られる不条理を描いたが、現代社会が病院のように疎外されていることを表したのだという。カフカ的な世界を描いているが、特殊な場面設定が現実社会の不合理を象徴しているからこそ、読者の心を打つことになるということを、思い起こさせてくれた。
 遠藤周作の『スキャンダル』は分身を描いた小説。もう一人の自分が、知らないところで悪事を働いていたらという設定で、本当の自分とは何かということを探るミステリー仕立ての作品。人間には表と裏の顔があり、隠されてきた裏の部分に真実が隠されている。このテーマは各人が抱えているので、自分も挑戦してみたい気がした。
 司馬遼太郎は『項羽と劉邦』で、揚子江を境に米を食べてきた南部と、雑穀を食べてきた北部とでは、同じ中国といっても、異国と言えるくらいの違いがあると主張している。楚の項羽と漢の劉邦を見比べると、米を食べていた項羽が日本人のように見えてきたという。日本人のルーツの一つは中国南部である。和服を売っている店を呉服屋というが、絹織物の技術が中国南部の呉から伝わったからである。僕が中国を旅行したとき、中国人のガイドは僕のことを、中国南部から来たお客さんだと、出会った中国人に話していた。吹っかけられないためだが、日本人の容貌は中国南部の人に似ているらしい。
 島尾敏雄の『死の棘』は、夫の浮気のために病んだ妻を描いた小説。人間魚雷の特攻隊員だった島尾は、戦時中奄美の加計呂麻島で、島の娘ミホと恋仲になる。死を覚悟しながらも、突撃の命令が下されぬまま終戦となる。死は回避されて結ばれた二人の、予期せぬ後年の姿を描いた作品。短編を連作のように発表して、長編の形にした作品。連作は日本人が好むスタイルで、各章の結びつきはゆるやかである。
 檀一雄の『火宅の人』は、女優との情事をを描いた作品。火宅とは煩悩に苦しむさまを、火がついた家にたとえた『法華経』の言葉。酒に溺れ、悪性腫瘍を病み、死に直面した著者の姿は、詩を書きながら、怒りを酒でぶちまけ、糖尿病、慢性肝炎、腎臓病を患い、歩くことすらままならなくなった亡父を想起させた。
 中上健次の『地の果て 至上の時』で、中上は小説の言葉が持つ力を、音楽にたとえた上で、人々の心を打つのはテーマよりも、言葉のヴァイブレイションだと主張する。優れた作品になるかどうかは、書かれた言葉にヴァイブレイションが感じられるかどうかにかかっている。
 星新一は『たくさんのタブー』に関して、SFで宇宙、未来、UFOなどを書いても、白々しくなってしまったため、日常生活の中からテーマを探るようになったと述べている。日々の暮らしの中に潜む神秘を探ることによって、文学の本質に立ち返ったとみることもできるだろう。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:17| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする