仮にこの世界がシミュレーションだとしたら、映画「マトリックス」のような事態が想定される。人類は生まれた直後から拘束され、人生を生きているという夢を見ているのか、肉体そのものも存在せず、ゲームの中で役割を演じているだけなのかもしれない。その場合、人間には自由意志など存在しないことになる。
その傍証として、自然はアナログのように見えても、ミクロのレベルでは不連続のデジタルであることが挙げられる。これもこの世界が、コンピューターのシミュレーションである可能性を示唆している。
コンピューターの進歩が加速度的に進めば、人類は宇宙そのものも、コンピューターでシミュレートできるかもしれない。世界が不完全で、戦争や悪がはびこるのも、この世界をシミュレーションで創造しているのが、不完全なコンピューターだとすれば納得がいくというのである。
創造を自動で行う賢者型シミュレーションは、放置していても勝手に世界を生み出していくので、システムを構築した未来の人類や宇宙人にとっては都合がいい。著者はさらに、シミュレーション世界が、さらなるシミュレーション世界を生み出すという入れ子構造も想定している。ただ、現実的なのは特定の分野に限ったシミュレーションの方なのだろうが。
本書では意識が脳の機能の副産物だとして、脳と同等の複雑な情報交換を行えば、意識が生じるということを前提としている。これは科学者らしい見解ではあるが、コンピューターがいくら進歩しても、意識が生じないとしたら、これまでの仮説自体が成立しなくなる。
たとえ意識があるように見えても、コンピューターゲームの人物のように、自動的に動くだけの「哲学的ゾンビ」なのかもしれない。また、意識自体が脳から自立していて、脳は情報を肉体に伝えているだけだとしたら、これまでの前提は一気に崩れてしまうのである。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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