ますむら氏によれば、賢治は催眠術の危険性に気づいて、四次稿ではブルカニロ博士を消したのだという。ただ、黒い帽子の男が語った言葉には、賢治の思想のエッセンスが込められている。物語の構成上から四次稿では削除されているが、漫画化するうえでは無視しがたいので、ブルカニロ博士の催眠実験を除いた上で、黒い帽子の男の場面を再現したのだろう。『銀河鉄道の夜』の理想的な姿を、賢治に成り代わって再構築したと言える。挿入された三次稿の部分を読み飛ばせば、四次稿のままの世界を体験できるので、読者に二通りの読み方を提示しているのだ。
ますむら氏の『銀河鉄道の夜 四次稿編』は、第四巻をもって完結した。そこで、本書で扱われた他の場面について、賢治の思想との関わりを考察することにしよう。サウザンクロス、南十字星の見える所で、大部分の乗客は降りてしまう。キリスト教の天国があって、そこにはキリスト教の神、イエス・キリストの姿まで現れる。しかし、ジョバンニとカンパネルラは下りようとしない。本当の神さまはそこにはいないと考えたからだろう。それが何かは分からないとしても。
本当の神さまというのは、賢治にとって何だったのか。『法華経』の「如来寿量品」で説かれる「久遠実成」の釈迦如来のことなのか。ただ、釈迦如来は真実を説く師であって、釈迦如来を崇拝しろというのは、皮相な解釈である。宇宙という精神の大きな営みが、唯一の神とも言える存在で、その表れがかりそめの世界であり、幻に過ぎないのであるが、そこで生きることを離れて、真実に近づくことはできないというのが、賢治の信じた『法華経』や日蓮の教えなのだろう。
石炭袋というのは、宇宙の中で星が全く見えないところで、巨大な黒い穴である。その穴でさえ、ジョバンニは怖くないと言う。そこはブラックホールのような物で、中に飲み込まれたら、すべては消滅してしまうのだろう。究極の悟りというものは、かりそめの幻から逃れて、空の世界に至ることなのだが、迷いの世界にいる人々を救わないうちは、悟りに至らないというのが、大乗仏教の菩薩の境地である。
カンパネルラは亡き母の幻を見て、銀河鉄道の車内から消える。幻にとらわれているという点で、輪廻の世界に舞い戻ってしまったのだろうか。子供のまま生を終えた人間は、真っ当な人生を送るために、もう一度生き直すように神さまから命じられるというのが、前世の記憶を持つ子供の証言として、海外のドキュメンタリーでは放送されている。
物語が完結したあと、ジョバンニはどうなるのだろうか。カンパネルラと死別した悲しみを乗り越えて、人々が本当の幸せが得られるように、人生を歩んでいくことになるのだろう。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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