お隣の中国は清国だったが、清の国旗は黄色い生地に龍が描かれ、青いレースに縁取られていた。
ベトナム南部はコーチシナと呼ばれていた。かつてはカンボジアのクメール王朝が支配し、阮(グエン)朝が南進してからはベトナム領となり、後にフランスの植民地支配を受けることになる。コーチシナの国旗は、黄色い生地に青いレースが縁取られているだけである。清の国旗から龍を除いた形である。
ロシアの国旗は複数あったようだが、その一つは青と白の横縞で、青、白、青、白、青、白である。日本の国旗の横縞を六本にした形である。
タルタリアというのは、十九世紀初頭まで存在した大国で、シベリアから中国北部にかけて占めていたが、西欧列強によって抹殺された国である。万里の長城はタルタリアが建設した、タルタリアと清の国境線だったらしい。タルタリアの国旗は、黄色い生地に龍が描かれているだけで、周囲は青いレースで縁取られていない。
周辺の地域はタルタリア領だったり、タルタリアと密接な関係にあった国だとされる。国旗から関係を推察すると、タルタリアに最も近い関係にあったのは清国である。青いレースがついている点を除けば、タルタリアとほとんど同じである。コーチシナは清国の国旗から龍を除いているので、清国の属国だったことが分かる。
日本の国旗に最も似ているのは、かつてのロシアの国旗である。国旗で見る限りでは、ロシアの強い影響下にあったようである。ロシアが伝統的には親日的で、日本人もロシア文化に憧憬を抱いてきたことが、それを示唆している。日本がロシアと敵対するようになったのは、日本が幕末にイギリスの属国になってからである。清国の国旗との類似点は、わずかに青のレースが清国の国旗に使われている点だけである。
19世紀の各国の国旗
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「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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