金沢出身の詩人、小説家である室生犀星を知ったのは、僕が中学一年のとき(昭和五十一年一月)に、NHKの少年ドラマシリーズで同名の番組が放送されたからである。主人公の少年照道は、加賀藩の足軽組頭だった実父、小畑弥左衛門吉種と女中だったハルの私生児だった。生まれてすぐに赤井ハツのもとに養子に出された。家には養女としてもらわれてきた姉がいた。血のつながらない姉とは、深い心のつながりを感じていた。
ただ、照道は毎日のように、実家に戻っていた。そこには六十代の父と、まだ四十代で美しい母がいた。実家で過ごすことが、少年の生きがいだった。なつかない照道を養母のハツが快く思うはずもなかった。しかも、けんかっ早くて、先生にはいつも睨まれて居残りをさせられ、侘びを言わないために殴られていた。そんな照道だったから、養母のハツに可愛がられるわけもなかった。
僕が忘れられないのは、実父が亡くなり、実母のハルが追われるように、行方知れずとなり、父の弟が屋敷を乗っ取って、中に入ろうとする照道を、雨戸の前で投げとばす場面である。
実母が行方知れずとなった後、照道は隣にあった真言宗の寺院雨宝院の住職、室生真乗の養子となる。実は、赤井ハツは真乗の内縁の妻だったから、自然な流れだったのだろう。養父の真乗は心が深い人で、実母が行方不明になり、なついていた姉も嫁に行ってしまった傷心の照道を、優しく見守ってくれていた。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
帰るところにあるまじや
犀星にとって故郷の金沢は、生まれてすぐに養子に出され、実母と生き別れになり、先生には虐待されたつらい記憶があるからこそ、帰るべきところではなかった。その一方、血のつながらない優しい姉や、養父真乗の支えもあり、必ずしも不幸な幼年時代ではなかったから、悲しくうたうものでもあったのだ。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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