2023年07月31日

三十年ぶりの松山(5)

 そのまま下りていくと、ビルの上に宇和島駅という赤い電光掲示板が見えた。松山にどうして宇和島駅か分からなかったが、 愛媛県美術館の建物であり、現代美術家、大竹伸朗氏が1997年に製作した作品だということだ。人々の心を欺くことで、異化作用を引き起こし、意識の覚醒を促すことを意図している。
 伊予鉄道の路面電車に乗ろうと思ったが、そのまま松山市駅まで歩いてしまった。食事にはまだ早いので、道後温泉駅に行ってみることにした。通りを九十度に曲がって進んでいくところが、いかにも路面電車らしい。終点の道後温泉駅には、坊ちゃん列車で走らせる蒸気機関車も停車していた。
 かつて道後温泉に来たときの記憶をたどっていた。正面には長い石段があり、伊佐爾波神社の赤い社が見えた。道後温泉の本館は左に曲がったところにあるはずなのだが、鷺を描いたけばけばしい現代アートの巨大な覆いが見えた。(つづく)


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2023年07月30日

室生犀星の『幼年時代』について

 金沢出身の詩人、小説家である室生犀星を知ったのは、僕が中学一年のとき(昭和五十一年一月)に、NHKの少年ドラマシリーズで同名の番組が放送されたからである。主人公の少年照道は、加賀藩の足軽組頭だった実父、小畑弥左衛門吉種と女中だったハルの私生児だった。生まれてすぐに赤井ハツのもとに養子に出された。家には養女としてもらわれてきた姉がいた。血のつながらない姉とは、深い心のつながりを感じていた。
 ただ、照道は毎日のように、実家に戻っていた。そこには六十代の父と、まだ四十代で美しい母がいた。実家で過ごすことが、少年の生きがいだった。なつかない照道を養母のハツが快く思うはずもなかった。しかも、けんかっ早くて、先生にはいつも睨まれて居残りをさせられ、侘びを言わないために殴られていた。そんな照道だったから、養母のハツに可愛がられるわけもなかった。
 僕が忘れられないのは、実父が亡くなり、実母のハルが追われるように、行方知れずとなり、父の弟が屋敷を乗っ取って、中に入ろうとする照道を、雨戸の前で投げとばす場面である。
 実母が行方知れずとなった後、照道は隣にあった真言宗の寺院雨宝院の住職、室生真乗の養子となる。実は、赤井ハツは真乗の内縁の妻だったから、自然な流れだったのだろう。養父の真乗は心が深い人で、実母が行方不明になり、なついていた姉も嫁に行ってしまった傷心の照道を、優しく見守ってくれていた。

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
 帰るところにあるまじや

 犀星にとって故郷の金沢は、生まれてすぐに養子に出され、実母と生き別れになり、先生には虐待されたつらい記憶があるからこそ、帰るべきところではなかった。その一方、血のつながらない優しい姉や、養父真乗の支えもあり、必ずしも不幸な幼年時代ではなかったから、悲しくうたうものでもあったのだ。


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2023年07月29日

牧野富太郎はなぜ東大研究室の出入りを禁じられたか

 NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槇野万太カは、植物学者の牧野富太郎がモデルである。植物学の教授田邊は矢田部良吉がモデルである。ドラマではムジナモの日本での発見を論文にまとめながら、田邊との共同研究にしなかったことが、田邊の怒りに触れて出入りを禁止されたことになっている。そこには、田邊の万太郎への嫉妬と、言いなりにならなかったことへの恨みがあるようだ。
 ただ、疑問に思うことは、学術論文を発表する場合は、原稿の段階で必ず他の研究者の査読が入るということだ。論文を採用するか不採用にするか、書き直しを命じるかどうか。ところが、ドラマでは論文が印刷された段階で、田邊教授との共同研究になっていないことが発覚している。当時の東京大学では、論文の査読もせずに、学術雑誌を発行していたという設定になっている。いくら何でも、それはなかっただろう。
 出入りが禁じられたのは、牧野が東大の研究書を大量に借り出して、他の研究者の苦情が出ていたこと、東京大学でも、牧野が発行していた『日本植物志図篇』と同様の本を発行することになったため、大学の書物や標本を見せるわけにはいかないと、矢田部が判断したためだという。学術研究で競い合ったことが、出入り禁止の主な原因だったというのだ。矢田部が牧野に嫉妬したり、恨みを抱いたりしたというのは、ドラマとしては分かりやすいのだが。
 その後、矢田部は東京大学を停職となる。学長の菊池大麓との確執があったからだとされる。大麓の弟は動物学者箕作佳吉で、ドラマでは美作秀吉として登場する。菊池大麓は牧野富太郎を評価していたというから、牧野を研究室出入り禁止にしたことが、矢田部の停職と因果関係にあるかが興味深い。


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