ここまでなら、家庭内での逸話を描いた短編という印象なのだが、語り手は新幹線の中でまどろみ、富士山が噴火している夢を見る。自身に予知能力がある気がして、正夢だとしか思えない。ただ、妻と娘は語り手が病んでいると見ている。語り手がよろけるところで時間は停止してしまう。
トドロフは『幻想文学論序説』の中で、「幻想」とは物語の中の不可解な出来事に対して、読者が現実的な説明ができるか、超自然的な説明を受け容れるかで「ためらう」際に生じる効果だと説明している。
結末で語り手は時間が停止して、「この夢の中から出られない気がした」と述べている。現実的な説明としては、この作品は回想の形を取っているから、時間が止まった感覚も過去の記憶に基づいているというものである。一方、超自然的な説明としては、語り手は時間の停止した夢の中に閉じこめられたままで、その状況を読者が目の当たりにしているというものである。いずれの解釈も可能だから、この作品には「幻想」の効果が感じられるのである。
実は、僕は四十年前に、早稲田大学の第一文学部で、芳川泰久先生のフランス語の授業を受けていた。まだ二十歳の大学二年生だった。先生も三十過ぎの長髪で温和な、若々しい姿をされていた。
「大学が好きなら、大学の教師になってしまうという方法もあるんだよ」とおっしゃっていた。あの青年のような先生と、東京新聞に載っている現在のお顔を比べると、すべては夢のような気がしてしまう。僕の頭の中では、芳川先生は今でも若々しい姿をしているのだから。こう言うと、自分はまだ若いようだが、僕も今年還暦になってしまった。
芳川先生が仏文学者であると同時に、作家になっておられたのは知らなかった。小島信夫文学賞を受賞されたということだ。一般教養のフランス語を教わっただけなので、先生は僕のことなど、もうご存じないだろうが。
ちなみに、僕はフランス文学で修士号を取った後、日本語学の研究をして博士号も取った。今年の三月まで、先生と同じ大学で非常勤講師をしていた。大学が好きだったので、この年までキャンパスに出入りしていたのである。二十九歳の時に舟橋聖一顕彰青年文学賞というのを受賞したが、それ以後は振るわず、今はアップルのpodcastに小説や旅行記をアップロードしている。表舞台に出られるかは分からないが、書くことが好きなので、誰かが発掘してくれるのを期待して、生きている間は書き続けるつもりだ。あの世に逝っても書いているかもしれないが、夢で会った亡き父のように。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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