「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。(中略)あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」
僕が『銀河鉄道の夜』を初めて読んで、強い印象が残ったのはその部分なのである。それに続いて「いきなりジョバンニは自分というものが、じぶんの考えというものが、汽車やその学者や天の川や、みんないっしょにぽかっと光って、しいんとなくなって、ぽかっとともってまたなくなって、そしてその一つがぽかっとともると、あらゆる広い世界ががらんとひらけ、あらゆる歴史がそなわり、すっと消えると、もうがらんとした、ただもうそれっきりになってしまうのを見ました」という長文が来る。
賢治はここで、あらゆる存在は仮初めであるという仏教思想を表現している。ますむら氏は最終形(四次稿)に基づいて『銀河鉄道の夜』を、まず漫画化したわけだが、すべての映像が幻と消える場面を表現したいがために、さらに初期形[ブルカニロ博士篇]の漫画化に踏み切ったのではないか。(つづく)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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