第2巻目は銀河鉄道の旅が佳境に入る。この旅は天上の世界に旅立つカンパネルラを、ジョバンニの魂が追っていくのだという前提を理解していれば、より深い鑑賞が可能になる。「おっかさんはぼくを許して下さると思う」というカンパネルラの言葉は、親に先立つ不孝に対する思いなのだろう。なお、ジョバンニが「きみのおっかさんはなんにもひどいことないじゃないの」と言っていることから、カンパネルラの母が健在のように見えるが、「あそこがほんとうの天上なんだ。あっ、あそこにいるのはぼくのお母さんなんだよ」と言っている点、カンパネルラが水死したことを悼んでいるのが父親だけである点でから、その時点でカンパネルラの母は亡くなっていると見た方が妥当だろう。
それにしても、宮沢賢治の言葉は、散文詩のようであり、さりげなく書かれた言葉に多くの想いを込められているから、活字だけ追っている場合には、読み流してしまう恐れがある。
鳥捕りが知らぬ間に、車両から河原に移動して鷺を捕まえていると思ったら、次の瞬間には車両の中に戻っているのも、死後の世界だからこそ、時空を自由に移動できると思えば納得がいく。捕らえられた鳥が、押し絵のようにペチャンコで、食べてみるとチョコレートの味がしたり、水晶の中で火が燃えていたり、現実ではあり得ないことが起こるのだ。リアリティという枠を取り払って想像力をはばたかせた文章を絵画化することに、ますむら氏は創作意欲を掻き立てる。
島のいただきに白い十字架が立っていて、乗っている猫たちが、アーメンと祈りを捧げている。イタリアをモデルにしているから、キリスト教のイメージが多く現れる。現実の賢治は、熱心な法華経の信者だったから、描かれる西洋的な宗教観と、賢治自身の信仰がどのように折り合いをつけているかに感心を持っていた。
車掌が現れて、カンパネルラは切符を出す。それは死後の世界への切符だったのだろう。ところが、ジョバンニは切符を持っていなかったので、折り畳まれた紙を車掌に手渡す。車掌は「これは三次空間の方からお持ちになったのですか」と問う。まだ現世にいるのに、天上世界へ向かう汽車に乗っているのかという驚きが込められている。そこには読むことができない文字が書かれていたのだが、ますむら氏は、自身の解釈で「南無妙法蓮華経 日蓮」という文字を描き出す。
イタリアの二人の少年には、御題目の文字は読めなかったというわけだが、これさえあれば「どこへでも勝手にあるける通行券」だという言葉には、この世とあの世の行き来を可能にするほどの力を持つ、法華経に対する絶対的な信仰が、賢治にはあったのだと、ますむら氏は考えるのである。
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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