2021年07月31日

水原紫織の『特攻兵器「原爆」』(1)

 水原紫織氏は前著『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』において、日本が幕末にイギリス領になったこと、即位したばかりの明治天皇が、イギリスに留学した箕作奎吾にすり替えられたことを明らかにした。
 徳川幕府がイギリスとの条約で、独立を奪われることに気づき、勅許を得ていない条約は無効だと言い出したのは、イギリスによる日本の植民地化に抵抗するためだった。孝明天皇もついに抵抗しきれなくなり、イギリスが操りやすい留学生が、明治天皇として君臨したというわけである。
 昭和天皇がイギリスの陸軍元帥に任命されたのも、自治国日本の主権はイギリス女王が握り、イギリスの日本総督が天皇だったからである。大日本帝国憲法において、日本軍の統帥権が天皇の大権とされたというのも、イギリス軍の陸軍元帥である天皇を通じて、イギリスが日本軍を操る意図があったのだろう。(つづく)


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2021年07月30日

ゴッドチャンネルについて(10)

 7月27日のゴッドチャンネルでは、新型コロナウイルスの日本での感染爆発と、ワクチン接種が進んでいることとの関連が指摘された。ワクチンを2回接種すると、免疫が6分の1に低下する。ワクチン接種によって変異型が発生し、免疫が低下している人に感染すると重症化する。これは接種が進んだ欧米と同じ現象が、日本でも起きていることを意味する。
 世界の支配層は、戦争では人口削減できなくなったと考えている。核兵器により支配層も致命的な影響を受けるので、ウイルスでしか人口削減ができないと。最初に新型コロナウイルスを作ったのはNASAで、それをファウチに売り、さらにイスラエルに売って、イスラエルが中国の武漢でまいて、中国のせいにしたのが真相なのだそうだ。
 ワクチン接種だけでは人口削減が追いつかないので、これからは日本の海産物に、ワクチンの成分をまぜていくのだという。ワクチンは5Gとも関連がある。ワクチンの成分に5Gの電波を当てると、血栓ができるということだ。
 PCR検査自体も不正確なもので、90%のPCR陽性の結果から、ウイルスは検出されていないということだ。そもそも、陽性者は感染者ではない。陽性とは不正確なPCR検査の結果であり、真の感染者が数千人も出れば、街中の人たちがコロナで倒れていなければおかしい。
 陽性者数の数値もコントロールされており、とにかく、恐怖心をあおってワクチン接種を勧め、人口削減していかなければならないと、世界の支配層は考えているという。各国政府もマスコミも、製薬会社から謝礼を受け取っている医者も、共謀しているということになる。


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2021年07月29日

夏目漱石の『行人』(2)

 物語の山場は、兄一郎との語りを綴ったHの書簡によって構成されている。一郎はHに内面の苦しみを明かす。冷淡な態度しか示さない妻直を、一郎は何度も殴るのだが、妻がこちらの思うように動かず、怒りを示さないことで、優位を誇っているとまで感じてしまうと。
 そこで、Hはマホメットの話をする。山に命じても山が動かないので、マホメットは自分で山の方へ歩いていった。山は神の比喩である。自身の思うように動かぬ対象は神である。Hは神を信じれば、自身の思うようにならないことに思い悩まなくなると諭す。しかし、一郎はHが心底では神を信じていないことを見抜き、Hの顔を叩く。何をするんだとHが怒ったことで、一郎はHの欺瞞を見抜いてしまう。
 自分が絶対だという場合、自身は有限な存在ではない。有限な自身は消えて、絶対者と一体になった境地を表すはずである。目の前の花を所有するというのは、対象である花に所有されることでもある。生身の人間を見ていても、そうした境地には至らないが、ススキに群がる小さな蟹を見つめているとき、無心になって目に見える物と自身が一体になる。それが一郎の理想としてきた境地なのだということが分かる。
 漱石を長年苦しめてきた悩みが、こうした形で作品の中で表現されている。思うように周囲が動かぬために、ノイローゼに陥って命取りの胃潰瘍にかかった漱石の悩みが。それなら神を信じればいいのだが、神は信じられない。それが「則天去私」という東洋的な境地に、漱石を赴かせたのだろう。
 自分が知っていることを、作品に書いていてもしかたがない。分からないからこそ書くんだということを『行人』は教えてくれた。長編を書く際の心構えは、まずそこにあるのだろう。


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