2017年06月17日

ぼくがダライラマ?(7)

 弾き終えたところで、ぼくの頭をなでて体を抱きしめてくれた。何で家族が別れ別れにならなければならないのか、そのときのぼくには分からなかった。けれども、それが避けられないことで、運命を受け容れるという点で、この国の人間は従順なのだということは感じていた。床の上に立ち尽くしていると、お母さんが寝床に連れていってくれた。
 ぼくは眠ったのだろうか。それとも、この家に生まれてからの出来事を思い出していたのだろうか。お父さんとお母さんが、まだ何か話してる声が聞こえた。いちばんつらかったのは、お父さんだったのかもしれない。
 東の空が白んできたようだ。窓からぼんやりした光が差し込んでくる。遠くで鳥の鳴く声がしたが、村人はまだ起きていないだろう。ぼくは着替えさせられた。すでに火が起こされていて、熱いバター茶が入れられた。お父さんが目をこすりながら出てきた。これが最後の食事? お母さんが震える手で、茶碗をお父さんに渡した。本当はまだ話し足りないことがあるはずなのに、ほとんど無口でバター茶で練ったツァンパを口に入れていた。(つづく)

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posted by 高野敦志 at 03:33| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

逆接の表現(pdf)

 外国人が日本語を学習するとき、戸惑うことの一つは類似した表現である。英語圏の学生が和英辞典を引いて、英語で違いを理解しようとしても限界がある。やはり、典型的な例文を覚え、違いがどこにあるのか教師に質問するしかない。
 以前、「は」と「が」の違いについて、「と」「ば」「たら」「なら」の区別について書いた。今回は逆接の表現を取り上げることにする。日本人のように完璧に違いを使いこなすのは難しいので、理解できる用法は最大限に増やして、学習者自身が日本語で表現する場合は、誤用が避けられるように、使い道の広い用法を覚えるようにすればいい。効率的に学習することが早道なのである。また、古めかしい表現は普通の外国人には不要である。
 以下のリンクから、pdfファイルをダウンロードしていただくとして、簡単な説明を付け加えていくことにする。
gyakusetsu.pdf

T 接続詞と接続助詞

「しかし」と「ただし」の違いについて、某日中辞典を見たら、同一の説明をしていて、これでは中国人の学生が理解できないだろうと思った。「ただし」は条件や例外を加える場合に用いるのであって、「もっとも」にも同様の用法がある。
 逆接の表現を含む内容を、「が」や「けれども」を接続助詞として用いて表す場合には1文、接続詞として用いて表す場合には2文となる。接続助詞「のに」と、接続詞「なのに」のように、語形が若干変わるものがあるのに注意する。
「ところが」は予想外な展開に対する驚きを示す。「にもかかわらず」も似ているが、不条理な状況に対する批判のニュアンスを含むので、自分自身について言及するときには用いにくい。相手への批判に侮蔑のニュアンスが加わる場合には「くせに」が用いられる。
「ながら(も)」と「と言いながら」は類似しているが、後者は発言の矛盾を指摘する場合に用いられる。「ものの」はそれ以上、事態か進展しない場合に用いられる。「といっても」は前件から予想される事態に対し、後件の程度が低い場合に用いられる。「ものを」は相手への不満や残念な気持ちを、含意として表す言いさしの表現である。


U 仮定条件と確定条件

「のに」と「ても」の違いも混同されやすいが、「のに」には「確定条件」の表現しかないのに、「ても」には「確定条件」のほかに「仮定条件」の表現がある。
 また、「のに」にタ形が上接して、いわゆる「反実仮想」、現実に反する状況を想定する表現もある。


V 階層性

 南不二男は従属節の独立度を、階層的に分類している。独立度が低い順にA類、B類、C類と分類している。逆接の表現に限って言えば、「ながら」がA類、「のに」「ても」はB類で、「けれど」「が」がC類となる。例文で示した「のに」「ても」の方が、「けれど」「が」より独立度が低い。したがって、独立度が低い「のに」「ても」は、独立度が高い「けれど」「が」の節の中に、入れ子状に組み込まれるのである。


W 「なくて」「ないで」「ず(に)」

 ここでは併せて、「なくて」「ないで」「ず(に)」の違いについても、触れておくことにする。これらは用法から、「なくて」と、「ないで」「ず(に)」に二分される。
 まず、活用を確認しておくと、形容詞系では前項がイ形容詞でもナ形容詞でも、「なくて」の形を取る。一方、動詞では「なくて」「ないで」「ず(に)」のいずれの形も可能だが、用法によって使われるものが異なってくる。
「なくて」は原因や並列の表現にもっぱら使われるが、「ないで」には幅広い用法があり、大抵は「ないで」を使えば間に合ってしまう。「ず(に)」は「ないで」の用法と重なるが、書き言葉で用いられる。
「ないで」が多用される表現としては、「付帯状況」がある。「否定の許可」「否定の依頼」「禁止」「二重否定」などでも、「ないで」が用いられる。


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posted by 高野敦志 at 03:06| Comment(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

ぼくがダライラマ?(6)

 ぼくはまだ何も知らなかった。こうした生活がいつまでも続かないということを。口の周りをべとべとにしながら、トゥクパを食べていた。
 そのうち、何かがおかしいことに気がついた。チャンを飲んでいるのに、お父さんが口をつぐんだままだったからだ。お母さんは羊のゆで肉をほぐしながら、お皿の上にのせてくれたのだが、袖口で目の縁をぬぐっている。
「どうしたの。何がそんなに悲しいの?」
 お母さんは顔をあげて、作り笑いをした。
お父さんに何か言ってもらおうとしても、チャンを飲み続けるだけだった。
「一緒に食事するのは楽しいわよね。今日の日のことは、決して忘れないわ」
「おい、やめろ!」
 お父さんは小声で言うと、膝の上に乗るように手招きした。何も知らずに乗っかると、大きな掌でぼくの頭をなでた。
「よく聞け。おまえは明日から旅に出る。お母さんの言うことをよく聞くんだぞ」
「えっ、旅行って? お父さんも行かないの?」
「ヤクや羊の世話があるだろ……」
 お母さんは袖口を押さえたまま、寝室の方に走っていった。ぼくが追いかけていこうとすると、お父さんは「ここに座れ」と正面の椅子を指さした。部屋の隅に置いてあったダムニェン(チベッタン・ギター)を取ると、即興で弾きながら歌い出した。言葉が難しくてよく分からなかったけれど、門出を祝うメンパ族の歌であるらしかった。(つづく)

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