2018年11月13日

ぼくがダライラマ?(60)

 そのまま出て行こうとした。ぼくは苛立った。思わせぶりの言い方が、当てこすりのように思えてしまったからだ。自分の娘を傷物にされて、黙っている父親があるだろうか。
「ぼくが娘さんに好意を抱いてるのを知りながら、何もなかったこととして嫁に出すわけですか」
「猊下の好意を受けたということは、娘にとって光栄の至りと申すべきことであり……」
「あなたは分かってるくせに、問い詰めようとしない。ぼくは龍王殿の中で密会してたんです」
「密会?」
「密会だけじゃない。結ばれたんです」
 にわかに摂政の顔色が変わった。青ざめていた顔が急に赤くなり、力なく垂れていた手も微かに震えている。ぼくは摂政にしてやられたと思った。言わなくてもいいことを、自分から白状させられたんだ。
「やはり、そういうことだったんだな。猊下が平民だったら、斬り捨ててやるところだ!」
 摂政はこちらの肩をつかんだ。激しく揺さぶられ、押し倒されそうになった。
「猊下は罪を背負って生きていかなくてはならない。娘のお腹に出来たのは、不義の子ということだ。相手の貴族もそれを知らない。娘が苦しむ分、その業に猊下も苛まれ続けるのです」(つづく)


 
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2018年11月12日

廃仏毀釈で修験道がなぜ目の敵にされたか

 江戸時代の庶民にとって、日本で最も偉いのは江戸の公方様、二番目に偉いのが領主であるお殿様だった。江戸時代の外交では、徳川将軍は日本国王、大君であり、アメリカのペリーは、Emperorである徳川家慶宛の大統領の国書を持ってきた。
 幕府は初代将軍、徳川家康を神格化することで、権力を揺るぎないものにしようとしていた。そこには、天台宗の僧天海の入れ知恵があった。徳川家康は東方浄瑠璃世界の教主である薬師如来が、化身として日本に生まれた神、東照大権現であるという信仰が編み出された。日本中に東照宮が作られたのはそのためである。
 幕末になると、尊王攘夷の思想が擡頭するが、天皇が日本の中心であるという思想は、水戸学の影響を受けた武士や、国学者の間にはあったものの、庶民の間では依然として、江戸の公方様が日本の支配者だった。
 天皇中心の新政府を作るためには、真言宗が説いた信仰、「日本の神は仏の化身」という本地垂迹説が都合悪かった。天照大神の子孫が天皇であると主張する上で、天照大神が大日如来の化身であっては、日本がアジアの中心であるという思想を、庶民に刷り込むことができないからである。また、仏教の説く慈悲の精神を否定しなければ、徴兵制によって庶民を戦地に送り込んで、敵兵を討たせることもできない。
 神仏習合を体現していたのが修験道である。山伏は半僧半俗の存在で、幕府の宗教政策のもとでは、真言宗や天台宗の支配下に置かれていた。修験道が信仰の中心にしていたのは、仏の化身である神、権現だった。修験道の開祖、役小角が感得した金剛蔵王権現や、熊野三社の熊野権現が、古来から信仰されていた。武蔵国の高尾山では飯縄大権現、相模国の大山では石尊大権現といったように、修験道では神仏習合の多くの権現が信仰されていた。
 明治維新で幕府の権威を失墜させるためには、神仏分離を行い、東照大権現を否定する必要があった。権現という存在を抹殺する上で障害になる修験道は、明治政府はよって徹底的に弾圧されたと考えられる。


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2018年11月11日

木次線は「きすきせん」(1)

 旅行の最終日、朝から快晴である。大山も山頂まで晴れ上がっていることだろう。六時半に起きて温泉に入り、痛くなった太ももをマッサージした。朝食を食べてチェックアウト、ホテルの車で玉造温泉駅に送ってもらった。
 今日も特急やくもに乗り、宍道駅で降りた。木次線の始発駅で、ここから広島県の備後落合駅までの81.9kmを結んでいる。かつては山陰と山陽を結ぶ鉄道として、急行列車も走っていたが、山岳路線でスピードが出ず、スイッチバックもあることから、電化された伯備線にその座を奪われた。
 トロッコ列車「奥出雲おろち号」は、本来なら木次発なのだが、今日は宍道発となっていた。トロッコと普通車の二両編成で、ともに予約制。どちらの席も指定され、いずれの席にも移動できるシステムになっている。
 ディーゼル機関車が急勾配、急カーブの山中を進んでいった。トロッコ列車なので、脇の木の枝が折れて落ちてきたり、トンボが飛んで入ってきたりする。水田や林の中を抜けていくのは、のどかな感じで良かったのだが。(つづく)


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