2018年06月04日

ぼくがダライラマ?(47)

 その後、猊下が夕暮れにポタラ宮の裏、龍王を祀る神殿の池の前で、ダムニェンを弾いていらっしゃるという話を、侍女たちがしているのを耳にして、もう我慢ができなくなりました。わたくしは侍女に手引きをさせて、物陰から弾き語りを聴いておりました。幼い日にふるさとから連れ出され、長い間僧院で過ごされてきた猊下のお気持ちが、胸に伝わってまいりました。
 自分の罪深さは感じております。わたくしは自身の気持ちに忠実なあまりに、猊下を悩ませている自分が恐ろしくなります。ただ、ただの一度でよろしゅうございます。猊下と一対一でお話ししたいのです。次の満月の夜、もし東の山の頂から、白く明るい月が昇りましたら、日付の変わる時刻に、あの池の前でお待ちしております。
 とうとうこんなことまで書いてしまいました。女人はこの身のままでは成仏できぬものだと聞いておりましたが、ようやくその意味が分かりました。観音菩薩の化身であられる猊下に、こんな手紙を差し上げるわけですから。もし猊下のお気持ちを損じるようなことがございましたら、どうぞ焼き捨ててくださいまし……。(つづく)


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2018年05月26日

ぼくがダライラマ?(46)

 夜になるまで、懐の手紙を読むことはためらった。明るいうちは、侍従が部屋の中を出入りするため、動揺を感づかれてしまうからだった。ようやく寝る時刻になった。バターの灯が、机の前で揺れている。外ではまだ侍従が控えているのかもしれない。静まり返る頃合を待って、たたまれた紙を恐る恐る開いた。

 わたくしは今、以前のように自由に外出することを、差し止められております。父が猊下をお呼びしたのも、わたくしの思いを探るためだったのです。
 何から申し上げてよいものやら、わたくしの心は乱れております。実は、わたくし、結婚させられることになったのです。それもラサから遠く離れた貴族のもとへ、見も知らぬ男のもとへでございます。ですから、婚姻の支度が調った段階で、お別れしなければなりません。いきなりこんな手紙を差し上げて、さぞお心を乱されておられるものと存じます。 はっきり申し上げます。わたくしは猊下をお慕い申し上げています。突然わたくしの婚姻が取り決められたのも、わたくしの心にともった火を早めに消してしまうつもりだったのでしょう。しかし、かえって気持ちが抑えられなくなりました。
 猊下のお姿を拝見したのは、ラサにおいでになった日、ガンデン宮でございました。新しい法王さまがお越しになったと聞いて、わたくしの空想は広がるばかりでした。ダライラマとなられる方をお慕いするなんて、大それた真似だと重々承知しておりましたのに。(つづく)


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2018年05月25日

ぼくがダライラマ?(45)

 摂政が戻ってきた。ぼくは書簡の中で、パンチェン・ラマが何とおっしゃっているのかと思った。随分お目にかかっていないが、どうしておられるだろうか。
「いや、これはわしに当てられた物であるから、ご覧に入れるわけにはいかないんだよ」
 もったいぶった言い方に、ぼくは苛立ちを覚えた。形だけは崇められても、所詮ぼくは操り人形でしかないということだ。
「清の康煕帝や、モンゴル王のラサン・ハンが、猊下についていろいろ言って来るので、パンチェン・ラマもお心を痛めておられるのだ」
 またあのことかと思った。ぼくが成人するまで、国境近い山奥の僧院に閉じ込められ、ダライラマ五世の崩御が隠されていたという問題についてだろう。俗人の姿で狩りなどしていたぼくが、突然、ダライラマに祭り上げられたんだから、疑わしく思われてもしかたがない。
「猊下は心配なさらないでいただきたい。猊下にとって最も大切なのは、修行にいそしんで観音菩薩としての徳を身に着け、一日も早くご立派な姿でチベットに君臨していただくこと。清やモンゴルの使節がやってきても、何ら不審に思われることがないような、高貴な品性をお持ちいただくこと」
「そんなこと言われても……」
「だから、わしの言うとおりになさってくださればいいのです。パンチェン・ラマには、猊下当てのお手紙を下さるようにご返事しておこう」
 奥方が出てきた。テーブルで小さくなっていた娘も立ち上がった。玄関に向かうところで、控え室にいた侍従が待っていた。別れの挨拶をして立ち去るとき、ぼくは娘の顔を見たが、目で合図を送ってくるようなことはなかった。(つづく)


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