2018年10月07日

ぼくがダライラマ?(57)

         八


 何事もなかったかのように、月日は過ぎていった。ぼくはとんでもないことをしでかしたというのに。一時はダライラマになるために、仏道修行に励もうとも思ったが、あの日を境に箍(たが)が外れてしまった。ぼくは野山で狩りをしていた方が向いているのか。悟りを求めるよりも、恋愛の道に走る方が好きなのだ。
 これは釈迦の悟りを妨げようとした鬼神に、心がとらわれてしまったということか。ぼくは恐ろしくなって、観音菩薩の真言を唱えながら、師であるパンチェンラマのお顔を思い出そうとした。ところが、現れるのは摂政の娘の姿なのだ。

 ラマのお顔を想っても
 ぼくの心にゃ現れぬ
 恋しいあの娘(こ)のほっぺたは
 かくもありあり見えるのに

 聖なる法(ダルマ)を彼女のように
 絶えず心に想うなら
 今生のうちにこの身において
 難なく仏になれるのに

 ぼくはまだ、希望を捨てていなかった。ダライラマとして生きながら、内から湧き上がる本能の力を、抑えることなく活かす道があるのではないかと。それが何かは分からないが、詩を書くことは、少なくとも、心の慰めにはなるのだ。これをダムニェンで節をつけて歌ったら、摂政などは腰を抜かすんじゃないか。(つづく)


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2018年09月22日

ぼくがダライラマ?(56)

 ぼくが女の着物に手をかけると、おやってみたいに驚いた仕草をする。それって、男を燃え立たせるための手管ですか、お嬢さんと言いそうになった。ここまで誘っておきながら、服を着たままでおしまいなんて、ぼくは許しやしないよ。
 盛りのついた馬にでもなった気分だった。女は抵抗したけれども、途中からなすがままになった。初めての経験なので、どこに入れたらいいか迷ったりしたけれど。女は泣き叫んでいたが、途中から抵抗しなくなった。ただ荒い息は続いている。ぼくは何かが、内側から盛り上がるのを感じた。衝動とともに、血管を破るほどの何かが。その一線を越えるのが怖かった。
 ああ、目の前が真っ白になり、背筋から快感が突き上げてきた。夢中になってしがみつき、しばらく腰を振っていた。これで射精を止めるのって、至難の業だと思った。心臓がはち切れてしまうんじゃないか。
 女はおとなしくなり、ぼくの体にしがみついていた。もう自分で体を動かす元気もないみたいだった。今は何も考えたくなかった。これからどんなことが待ち受けているのかも。
「これで良かったの?」
 女は黙ってうなずいた。たった一度のことを胸に秘めて、好きでもない男のところに嫁に行くのか。そう思うと、急にいとおしくなって唇を吸った。(つづく)


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2018年09月12日

ぼくがダライラマ?(55)

 セックス・ヨーガだった。仏が女神と交わってるタンカは、ともに悟りを得た姿を表している。悟る前はともに生身の男と女。ただ、交わればいいというのではない。交わりながらヨーガをすることで、脊髄の下に眠る蛇の力を、頭頂に引き上げるというのだ。
 壁の図像に気を取られていると、女の腕が伸びてきた。話がしたいとか何とか言ってたが、要するに、抱かれたいってわけか、好きでもない男のもとに嫁に行かされる前に。
「猊下、ただ一度でよろしゅうございます」
 女は恥じらって、それ以上言えない。僕は面倒くさくなった。いくら童貞といっても、やり方を知らないわけではない。周囲に役人と坊さんしかいなかったから、性欲だって抑えられてきただけだ。目の前に身を捧げたいっていう女性が現れたら、それを抑えるいわれはない。
 セックスで悟りがえられようが地獄に落ちようが、なるようになれって感じだった。どうなるかも分からなかった。チベットでは手淫の習慣がない。精液が仏になるための菩提心だなんて言われたら、怖くてチンボコで遊べないじゃないか。(つづく)


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