2018年01月17日

ぼくがダライラマ?(35)

 東の空から満月が昇ってきた。太陽の光を受けて輝く月は、夜の孤独を慰めてくれる光だ。自分がどこから来たかを教えていると、仏教では言うらしいが、僕には別れたままのお母さんの顔に見える。
 僕はダムニェンを弾き始めた。弦の響きに耳を傾けていると、抑えられていた心が開いていく。あの月は僕一人のために、夜空を照らしているわけではない。生死を繰り返す人間にとって、母なるものを象徴しているんだろう。

 東の山の頂(いただき)から
 白く明るい月が昇る
 まだ生まれぬ母の顔が
 僕の心に現れてくる

 人の気配を感じた。侍従に見つかったのかと思ったが、大して気にも留めなかった。微かな甘い香木の匂いが鼻をくすぐった。
 弾くのをやめて振り返ると、丸くて色白の女が立っていた。宝玉の髪飾りをつけているから、貴族か何かの娘だろうが、夕暮れに出歩くのは尋常ではない。
「そのまま、私はいないものと思って弾いて下さい」
 この香りは伽羅(きゃら)だろうか。若い娘にこんな近くで接するのは初めてだった。向こうは僕のことを知っているのか。
「私はこの池に住まう龍王の化身です」
 女は真顔で言った。なるほど、高貴な家の娘が、人気(ひとけ)のない池のほとりに出てくるはずがない。(つづく)

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2018年01月11日

ぼくがダライラマ?(34)

         六

 ぼくは侍従の目を盗んで、ポタラ宮内を歩き回るようになった。迷路に似た宮殿の中で、ぼくの姿を見失った丸顔の男が、青ざめているのを想像するのは小気味よかった。ダライラマとして民衆の前に立つには、仏教の教理や瞑想法、占いのための天文学、チベットの文化と歴史、国を治める帝王学とやらまで、学ばなければならないことは山とあった。成人するまで教育をきちんと受けず、野山で狩りするのを楽しみにしていたぼくにとって、ポタラ宮での生活は苦痛以外の何ものでもなかった。
 ぼくの顔色が青ざめ、無気力になっていくのを見て、摂政サンゲ・ギャツォは、ダムニェンを与えてくれた。これは肩からかける弦楽器で、お父さんが食事の後に弾いていた気がする。弦を弾きながら歌うのだが、坊さんには聞かれたくない。後ろ指をさす奴がいるからだ。一連の授業を受けた後なら、出歩くことも許されたので、西方の山に日が傾く頃、ダムニェンを抱えて、宮殿の裏手にある大きな池のほとりで腰を下ろした。
 柳の林に囲まれた池は、宮殿を塗り固める土を掘り出した跡に、雨水がたまったものだった。中央の小島には龍王を祀る神殿が建っていた。仏塔の形をした金色の屋根は、東の空から迫りつつある夜気に触れていた。摂政の話によれば、ダライラマ五世の見た夢を実現した物で、内部に入ることは許されていないとのことだった。(つづく)

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2017年12月29日

ぼくがダライラマ?(33)

 その夜、ぼくは夢を見ていた。密林の中でぼくは二人の兄たちと、色鮮やかな植物や、言葉が分かる鳥を見物していた。お腹がすいて果物を探しているうちに、竹やぶの中に迷い込んでしまった。
 こんなところで猛獣と出くわしたらどうしようと上の兄さんが言うと、下の兄さんは、自分の体なんかくれてやっても構わないけど、父さんや母さんとお別れするのはつらいと答えた。
 話をしながら進んでいくと、やぶの中に黄色い影が横たわっていた。上の兄さんが叫び声を上げた。下の兄さんは震えながらぼくの衣をつかんだ。
 よく見ると、それはやせこけた一頭の虎だった。周りには七匹の子供がいたが、お腹をすかせて子猫のような声を出している。母親はうつろな目をして、こちらを向いても威嚇することもできずにいた。
「この虎は何を食べているんだろう」とぼくが問うと、上の兄さんは「虎やヒョウ、ライオンは生きた動物しか食べないんだよ」と答えた。下の兄さんも「もう狩りをする力はないんだろうけど、えさを見つけてやることはできないし、自分の身を餌食にしてまで救ってやる者なんていない」と答えた。
 ぼくは母親の虎と子供たちがかわいそうになった。二人の兄たちを先に行かせると、竹に衣をかけて裸になった。枯れた枝を手に取り首を刺すと、血を流して虎の前に身を横たえた。虎はしばらく、こちらを眺めていたが、ぼくの傷口に舌を当てると、乳でも飲むように吸いはじめた。
 母親は生きる力を取り戻したようだった。七匹の子供を助けたいという思いと、自ら命を差し出した相手を傷つけることへの恐れの中で揺れ、これ以上危害を加えられずにいる様子だった。
 ぼくは首筋の痛みをこらえながら、虎に向かって語りかけた。「ぼくはまもなく息絶えるだろう。それはおまえの子供たちを救いたいからだよ。ぼくのことなど構わずに、肉に食らいついて、骨の髄まで噛み砕いてくれ。この体はおまえの血肉となり、子供たちを養う乳となるのだから」
 虎の牙が首筋に食い込んできた。大量の血が流れだした。虎は狂ったように歓喜の声を上げて、噴き出した血をすすりだした。ぼくははっとして目を覚ました。それは恐ろしい夢ではあったが、不思議と心の中は満たされていた。
 チベットでは人は死ぬとき、自分の肉を鳥や獣に捧げて、次の生命の肥やしとなるのだから。霊塔の中に閉じ込められて、永遠にとらわれの身となるよりは、よほど快いことに違いないと思った。(つづく)

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