2018年07月19日

ぼくがダライラマ?(49)

 参詣を終えて表に出ようとしたとき、侍従が寄ってきて押しとどめた。人々は説教を聞きたがっているというのだ。そんな話は聞いていない。当惑したものの、覚悟を決めるしかなかった。ジョカン寺の前は押し寄せた群衆で、身動きができないほどひしめいていた。ぼくの姿を見た途端、人々は合掌し、体をぶつけ合いながら、五体投地の祈りを始めようとした。肘で打たれて顔をしかめ、隣の者を小突き出す者まで現れた。
「私はまだ未熟な修行者に過ぎません……」
 一声を発すると、人々はその場にしゃがみ、ひたむきな眼でこちらを見つめた。ぼくは圧倒されそうになり、足の震えをこらえながら続けた。
「私は何も知らずに、両親の家から連れ出され、山奥の僧院で子供時代を過ごしました。ある日、突然、ラサに迎え入れられ、ダライラマとして、この国を統率する者として生きることを求められました。自分にいったい何ができるんだろう? そのとき、ふと気づいたんです。ダライラマは観音の化身とされているが、観音自身は菩薩であって、修行をしている身であるということを。まだろくに祈ることさえできないのに、と思われるかもしれませんが、悟りの種が自身の中にあることを認めさえすれば、それは自身が菩薩であるということなんです。たとえ、賤しい身分で生まれたとしても、自分の中に悟りの種を見つけ、祈りを捧げていれば、あなた自身も、すでに悟っていることと同じことなのです」(つづく)


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2018年06月18日

ぼくがダライラマ?(48)

 外は星がよく出ている。ちょうど新月であるから、密会の日まであと半月あるということだ。ぼくは平静を保つことを考えた。そのためには、何も考えない方がいい。その間にポタラ宮を出で、ラサの中心にあるジョカン寺に参詣する日も入っていた。当日は強い日射しの中、本堂の前では人々が、五体投地の礼拝を行っていた。駕籠から下りたぼくが、前に進んでいくと、祈りの対象が自分となっていることに気づいた。
 その日初めて、ジョカン寺の本尊である釈迦如来像と向かい合うことになった。これは遠い昔、唐の都から玄宗皇帝の娘、文成公主が嫁入りの際に持参したとされる金像で、釈迦の幼い姿を写したと言われる。金色の王冠にはトルコ石や珊瑚が象嵌され、出家前の王子の装いをしているが、あどけなさが漂う中にも、まなざしは悟りの境地を示している。
 灯明にバターが注がれると、釈迦の顔は闇を照らす光みたいに、一層輝きを増すように思われた。修行はほとんど積んでいないのに、自身の運命を見通していたのだろうか。ぼくが美しい衣装に引かれるのは、うわべを飾ることで、空虚な自分の姿をごまかせるからだ。それに対して、幼い釈迦の方は、内面の美しさが金色の衣装や王冠の宝玉となって表れたのだろう。余りの違いに僕は愕然とし、自分の無知を恥じた。(つづく)


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2018年06月04日

ぼくがダライラマ?(47)

 その後、猊下が夕暮れにポタラ宮の裏、龍王を祀る神殿の池の前で、ダムニェンを弾いていらっしゃるという話を、侍女たちがしているのを耳にして、もう我慢ができなくなりました。わたくしは侍女に手引きをさせて、物陰から弾き語りを聴いておりました。幼い日にふるさとから連れ出され、長い間僧院で過ごされてきた猊下のお気持ちが、胸に伝わってまいりました。
 自分の罪深さは感じております。わたくしは自身の気持ちに忠実なあまりに、猊下を悩ませている自分が恐ろしくなります。ただ、ただの一度でよろしゅうございます。猊下と一対一でお話ししたいのです。次の満月の夜、もし東の山の頂から、白く明るい月が昇りましたら、日付の変わる時刻に、あの池の前でお待ちしております。
 とうとうこんなことまで書いてしまいました。女人はこの身のままでは成仏できぬものだと聞いておりましたが、ようやくその意味が分かりました。観音菩薩の化身であられる猊下に、こんな手紙を差し上げるわけですから。もし猊下のお気持ちを損じるようなことがございましたら、どうぞ焼き捨ててくださいまし……。(つづく)


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