2017年10月18日

ぼくがダライラマ?(23)

 パンチェンラマの呼ぶ声がした。ぼくは眠っていたのだろうか。薄い雲が広がって、少しひんやりしてきた。切り立った崖の上に、巡礼が石を積んで作った塚があり、経文を記したタルチョ(祈祷旗)が、そよ風に揺られていた。ぼくが傍らに立つと、パンチェンラマは読経を始めた。ぼくも手を合わせると、見よう見まねで祈りを捧げた。
 突然、強い風が吹き上がって、塚の前に捧げられた紙の護符が、大量につむじを描いて上空に舞い、風に乗せられて湖水の方へ、ひらひらと落ちていくのが見えた。
「おお」
 パンチェンラマは声を上げて、驚嘆しているぼくの方を見た。ぼくはてんでばらばらに飛んでいくさまに、解き放たれたような自由を感じたが。これは何か未来を暗示しているのかもしれない。
 ぼくはあの護符のように、湖水の上を飛んでみたいと思った。湖面に漂う霧に向かって、昇るようにして落ちていく気がして、よろけて身を投げ出しそうになった。腕を支えてくれたのは、パンチェンラマだった。
「大丈夫か!」
 無言でうなずいたものの、先にパンチェンラマが声を出したことが気にかかった。自分ではどうすることもできない力に、とらえられているのを感じた。お母さんの顔が頭に浮かんだ。こちらを気遣っているような表情。日焼けして白髪も出てきていた。かわいそうなお母さん、と口に出そうになってこらえた。今頃はお父さんと再会していることだろう。

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2017年10月15日

ぼくがダライラマ?(22)

 次の日の朝、お母さんは去っていった。駕籠に乗せられて、警護の役人に伴われて。パンチェンラマは、シガツェにあるタシルンポ寺に向かうため、ラサに向かう街道の所まで供をして下さるということだった。お母さんがいなくなって、ぼくの心の中は空白になった。駕籠に揺られている間は、何も考えることができず、ほとんど居眠りしていただけだった。
 休憩することになった。駕籠から下りた途端、強い日射しでくらっとした。高地に住んでいるチベット人であっても、これだけの標高にある峠へ来ることは滅多にない。振り返ると、パンチェンラマが背後からやって来た。正面に進むと崖となっており、切り落としたような斜面は、大地の裂け目を見せつけられた気がした。下にはまっ青な湖が見えた。まぶしいほどの青さだった。
 役人が先に回って、展望する場所に椅子を二つしつらえた。パンチェンラマに先に腰を下ろしてもらい、その後にぼくは座ったのだが、軽いめまいは止まらなかった。湖は大地の裂け目に沿って、視線の届く先にまで延びている。
「ヤムドゥク湖というのだよ」
 パンチェンラマは、こちらが問うよりも先に答えた。雨の少ないチベットで、これだけの水量をたたえているのは不思議だった。流れ込む川もないのに。山肌を覆う氷河が、水源となっているとしか考えられない。真っ白な雪がどうして、まっ青な水になるか。そして、もし掌ですくったとしたら、たちまち水の色が消えてしまうのはなぜだろう。
「すべては心が作り出しているのだ」
 パンチェンラマは、こちらの心の中も読んでいるようだった。それに促されて、ぼくは目をつぶったのだが、目をつぶってもまっ青な湖と、切り落としたような斜面は、瞼の内側に映って見えるのだった。
「もし、そなたの心が澄んでいるなら、これから起こることが湖面に映るはずだよ」
 ぼくは目を開いた。そこには凍りついたように動かない水しかなかった。目を閉じても湖は見えたが、そこにも何も現れなかった。(つづく)

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2017年10月11日

ぼくがダライラマ?(21)

 儀式はすべて終わった。僧侶の姿になったぼくを見て、お母さんはひざまずいて合掌した。目には涙を浮かべている。湿っぽい気分になりそうなので、ぼくはあえて明るく振る舞うことにした。
「坊主にしてはいい男だと思ってるんでしょ?」
 お母さんは涙をぬぐうと、向かい合った椅子に腰掛け、とがめるようににらみつけた。
「もう立派なお坊さまなのだから、私を心配させるようなことは言ってはいけません」
「そうですね。これからは毎日会うことができませんから、ダライラマになったふりをするように努めます」
 ぼくが部屋を出て行こうとすると、お母さんが呼び止めた。振り返ってみると、顔から厳しさは消えたが、思い詰めたような目をしている。
「私の役目は今日で終わったのだと思いました。私はラサには行きません。お父さんが元気なうちに、村に戻してくれるように話はつけておきましたから」
「なぜその話を今日までして下さらなかったのですか」
 ぼくはすっかり気が動転してしまい、身に着けた袈裟を脱ぎ捨てて、すぐにでも一緒に故郷に戻りたくなった。お母さんは笑みを浮かべて、余裕を取り戻した様子で答えた。
「あなたが取り乱すと思ってね。でも、どこから見てもお坊さま、もう牧人に戻ることはできません。残りの人生は、お父さんと気ままに過ごさせておくれ」
 そこまで言うと、お母さんは揺るぎのないまなざしで、ぼくの方を見上げるのだった。ぼくは自身のことしか考えていなかった自分を恥じた。
「いつ戻られるんですか」
「明日の朝にでも。気持ちに迷いが生じるといけませんから」
「では、一緒に過ごせるのは、今夜が最後ということになりますか」
 ぼくは皺の寄った手の甲を握りしめ、この次はいつ会えるかと問うた。お母さんは微笑み、村に戻ってお父さんと相談する。会いたいと思ったときは、いつでも語りかけさえすれば、相手のことが感じられることぐらい、おまえだったら分かるはずだと言った。(つづく)


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