2017年06月28日

ぼくがダライラマ?(9)

          二

 ラサまでの道のりは、延々と続くはずだった。日が西に傾きかけた頃、お母さんとぼくを乗せたヤクは、外壁の崩れた山門をくぐっていった。今夜はここで泊まるのかと思った。寺の本堂からは、経文を唱える小僧の声が聞こえてくる。
 通された庫裏で、出されたバター茶を飲んでいたが、初老の役人はいつまでたっても現れなかった。お母さんの顔を見ると、不安そうな様子で落ち着きがない。ぼくはたまらなくなって、境内の方に走っていった。乗ってきたヤクの姿はなかった。牛飼いもどこに行ってしまったのか。
 小走りで部屋に戻ってくると、ちょうどこの寺の僧院長が、お母さんと話し込んでいるところだった。あごひげも白髪交じりだが、目だけはぎらぎら光っている。
「では、私たちはいつまでここにいるんですか」
「さあ、聞きたいのは拙僧の方だよ。ラサからお達しがあるまでは、あんたたちの世話をするように命じられているんだから」
 ぼくが座り込むと、あごひげのお坊さんは顔を眺め回して、頭の方に手を伸ばしてきた。その途端、お母さんはぼくのことを抱きしめた。寺ではどんなことが行われているか、聞き知っていたからだろう。それを見て不愉快そうに肩を上げると、大きな息を吐いて下がっていった。
 僧院長がいなくなると、お母さんはぼくの体を放して、袖口で涙をふいていた。だったら、お父さんのいるうちへ逃げ帰ればいいのに。ぼくが耳もとでささやくと、お母さんは黙って首を振った。寺の山門には見張りの僧兵もいたし、そんなことをしたら、どんな仕返しをされるか分かったもんじゃない。こうして、お母さんとぼくの幽閉生活が始まった。(つづく)

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2017年06月21日

ぼくがダライラマ?(8)

 そのとき、家の戸を激しくたたく音がした。こんなに早く! お母さんは急いでぼくに上着を着せた。別れの言葉をかわす時間もない。外には初老の役人と、貧相な顔をした牛飼い、それにヤク二頭が立っていた。
 お父さんはバター茶を飲みかけたまま、お母さんとぼくの荷物を持って出てきた。荷物を牛飼いに渡すと、お父さんはお母さんの手を握った。ぼくは不思議でならなかった。これはおめでたい門出であるはずなのに、どうしてお母さんは泣いているんだろう。また、晴れがましく迎えられるはずなのに、どうして奉公に出るみたいに、こっそり薄暗いうちに出なければならないんだろう。
 西の空を見ると、三日月がまだ沈んでいなかった。うっすらと靄がかかって、吐く息も白く濁っている。役人がヤクに乗ると、二頭目のヤクにお母さんとぼくが乗った。お父さんの顔を見ると、くやしそうに唇の端を噛んでいる。お父さんもこんなはずじゃなかったと、思ってるに違いない。華やかに飾られた輿に乗って、お母さんとぼくの出立を見送るものと思っていたんだろう。 
「すぐに帰ってくるからね」
 ぼくは励ますつもりで言ったが、簡単にはもう戻れないということを、子供ながらも感じていた。牛飼いに引かれて、ヤクが歩き始めた。山道をゆっくり下っていき、いつも羊たちが放牧されてる草地の横を過ぎていく。繰り返してることであっても、いつかは終わることがあるのを知った。(つづく)


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2017年06月17日

ぼくがダライラマ?(7)

 弾き終えたところで、ぼくの頭をなでて体を抱きしめてくれた。何で家族が別れ別れにならなければならないのか、そのときのぼくには分からなかった。けれども、それが避けられないことで、運命を受け容れるという点で、この国の人間は従順なのだということは感じていた。床の上に立ち尽くしていると、お母さんが寝床に連れていってくれた。
 ぼくは眠ったのだろうか。それとも、この家に生まれてからの出来事を思い出していたのだろうか。お父さんとお母さんが、まだ何か話してる声が聞こえた。いちばんつらかったのは、お父さんだったのかもしれない。
 東の空が白んできたようだ。窓からぼんやりした光が差し込んでくる。遠くで鳥の鳴く声がしたが、村人はまだ起きていないだろう。ぼくは着替えさせられた。すでに火が起こされていて、熱いバター茶が入れられた。お父さんが目をこすりながら出てきた。これが最後の食事? お母さんが震える手で、茶碗をお父さんに渡した。本当はまだ話し足りないことがあるはずなのに、ほとんど無口でバター茶で練ったツァンパを口に入れていた。(つづく)

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