2020年01月08日

SleepPhonesとは何か

 SleepPhonesというのは、ヘッドバンドにヘッドフォンをつけた物である。ごく単純な作りではあるが、ベッドの中で音楽を聴いたり、瞑想用の音声を聴いたりする際に、普通のイヤフォンやヘッドフォンなら感じる違和感がない。特に、横たわったときのフィット感は抜群である。ベッドの中で横向きになっても、外れることはない。
 ゆるいとヘッドフォンの位置が定まらないから、大きめの物は避けた方がいい。目の位置にバンドを当てて光を遮蔽すれば、昼間に休んだり、瞑想したりするのに打って付けである。僕はヘミシンクの音声を聴くために購入した。
 ただし、音質は普通なので、ハイレゾなどを聴くのには適さない。そもそも、これは睡眠や瞑想のために作られた物であり、ヘッドフォンが耳に密着し、頭皮からも震動が伝わることで、脳波誘導に十全の効果が出るのである。ヘッドバンドが汚れたら、ヘッドフォンを取り外して、洗濯することもできる。


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2019年12月30日

カルロス・カスタネダの『時の輪』

 カルロス・カスタネダの著書を「隔靴掻痒」だと感じるのは、ドキュメンタリー形式の物語によって、ドン・ファンの思想が断片的に語られているからである。しかも、初期の著作では、カスタネダの西洋流の合理主義が、ドン・ファンの思想と格闘しているので、読者は何が思想の中核となっているかとらえがたいのである。
 ドン・ファンの思想が分かりやすく説かれるのは、『力の話』以降である。幻覚性の薬物や夢見の術は、西洋流の合理主義への固執を打ち砕くためのもので、「ナワール」の世界に触れるための手段に過ぎないことが分かる。『ドンファンの教え』で説かれる「見る」という用語も、宇宙のエネルギーの波動を感じ取ることであると知るには、処女作を読むだけでは難しいだろう。
 無宗教とされる現代日本人でも、東洋的な精神世界に触れることは可能である。その予備知識があれば、ドンファンが語る世界を理解する手がかりとなる。ドンファンの語る世界は、言葉を超えた直観によってとらえられるもので、仏教では「無分別智」と呼ばれるものに相当する。宇宙がエネルギーで支えられているという考えも、「気」という存在が身近な日本人には理解しやすい。気功やヨーガの奥義では、エネルギーを五感でとらえる訓練が行われる。
 カスタネダが晩年に、ドン・ファンの言葉として、自身の著作から収集した『時の輪』は、ドン・ファンの言葉に通底する思想を、分かりやすい形で提示してくれる。ただし、いきなり本書を読んだだけでは、理解することは難しいだろう。「戦士」という用語にしても、修行者に相当する意味で用いられているのを知るには、『ドンファンの教え』をはじめとする著作を読んでおく必要がある。
 ドン・ファンが実在したかどうかは、明らかではない。カスタネダがフィールド・ワークの中で出会った複数のネイティブ・アメリカンの言葉が、ドン・ファンという架空の人物の教えとして提示されたのではないか、という推測も成り立つ。
 ただし、カスタネダの主張するところによれば、『力の話』の元となる思想を伝授した後、ドン・ファンはこの世を去る。それ以降の著作は、カスタネダが修得したとされる「場面再生」によって純化されたドン・ファンの言葉と、それ以降にカスタネダを指導したとされるフロリンダ・マトゥスの言葉から生まれたということである。


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2019年12月27日

カルロス・カスタネダの『力の話』

 僕が初めてカスタネダの著作を読んだのは、名谷一郎訳の『未知の次元』だった。実は、原書は同じだったから、『力の話』を読むかどうか最初は迷った。「トナール」と「ナワール」の問題も、一応理解できたつもりだったからだ。
 カルロス・カスタネダの新訳シリーズの完結編として位置づけられた本書は、カスタネダの思想が凝縮している。もし一冊読むとしたら、本書を手に取るべきである。ドンファン・シリーズを読んできて、隔靴掻痒という気がずっとしていた。ドンファンへの疑念と、怒りや哀しみといった感情に翻弄されるカスタネダが前面に押し出され、ドンファンの語る真実は、部分的にしか明らかにされてこなかったためである。
 本書を熟読すれば、カルロス・カスタネダの思想の大枠がとらえられる。以前、『未知の次元』を読んだ時の感想は書いているので、重複しないことだけ語ることにしよう。「トナール」が理性や意識のようなものだとしたら、「ナワール」はフロイトの「超自我」やユングの「集合的無意識」のようなものかというと、それも正確ではない。心理学では個人というものが前提となり、その枠の中で自覚できない部分を、無意識としてとらえ、その深層に「超自我」や「集合的無意識」を想定しているからである。
 カルロス・カスタネダの言う「ナワール」は、個人の枠にとらわれない、宇宙意識のようなものである。「分身」の存在も肯定的に語られているが、「分身」が同時に二箇所に出現するのも、海に喩えられる宇宙意識に、同じような形をした波が現れたようなもので、他の波(意識)から見たら、同じ波(人物)に見えてしまうということなのだろう。
 生身の人間は「トナール」として生きているが、「ナワール」に不用意に触れると、個別性が破壊され、狂気に囚われる恐れがある。創造的な人間のみ、「トナール」にとどまりながら、「ナワール」から「力」を得る術を知っている。戦士と呼ばれる探求者であっても、「ナワール」の深みに身をゆだねると、宇宙意識の壮大さに魅せられ、死の誘惑に抵抗することが難しい。
 カスタネダがこだわってきた幻覚をもたらす植物や、夢見の術も、個人という枠に穴を開ける手段に過ぎず、「ナワール」と向かい合う準備のできた戦士には、通過儀礼のようなものに過ぎないのである。


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