2018年03月08日

臨死体験の瞑想「イントゥ・ザ・ライト」(5)

 第四部では知識の領域の拡大を図る。いつものようにリラックスしたら、非物質的な肉体が霧となって頭頂から抜け出すさまをイメージする。練習を繰り返すうちに、実際に「体外離脱」するこつが得られるようになる。要するに、肉体の感覚がなくなり、精神の働きのみが盛んになれば、非物質的世界への移行が可能になるのである。
 好きな場所に移動して、辺りの様子をありありとイメージする。思い出の地など懐かしい風景にいるように感じる。行きたいと思ったら、次の瞬間に移動しているのが「臨死体験」の特徴である。次に、その場から飛び立って、今までいた場所を見下ろす。天使になったような感覚である。すると、周りに自分と同じように、空を飛んでいる人たちが見つかる。
 正面に大きなトンネルが見えてくる。これを潜ることで死後の世界をかいま見ることができる。他の人たちを誘って潜っていくと、えもいわれぬ心地よい音楽が聞こえる。その先には光が待っている。魂の故郷に戻ることで、宇宙と一つになるのである。このシリーズの瞑想で最も快いので、楽しんで行うことができる。
 ただ、いつまでも留まっていることはできない。まだこの世でやり残していることがあるのだから。物質的世界に戻るための誘導がなされる。《ゲートウェイ・エクスペリエンス》の場合のように、指を動かしさえすれば、肉体の感覚が戻ってくるのである。


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2018年03月04日

『バガヴァッド・ギーター』について

 これは「神の歌」を意味する。神とはクリシュナ神。悪鬼や悪王を退治した怪力の牧童で、日本の神話で言えば素戔嗚尊(スサノオノミコト)のようなもの。インドは多神教で、クリシュナは宇宙維持の神ヴィシュヌの化身とされる。クリシュナが説いたという教えが『バガヴァッド・ギーター』である。
 インド人が悟りを求める場合、山奥にこもってヨーガの修行をするというイメージが強いが、クリシュナは在家のまま行動することを勧める。相手が武人なら、戦いながらも悟りは可能だとする。肉体は滅びるが、魂(アートマン)は不滅だから死を恐れることはないというのだ。
 在家のままでも、すべてを平等に見る意識を保ち、信仰を持って祭祀を行い、しかも見返りを求めなければ、アートマンは創造神ブラフマンの境地に至ることができる。いわゆる「梵我一如」である。人が神と同一になるというのは、一見不遜なようであるが、神と融合しながら、意識は失わない状態を指すのだろう。これは人が仏になるという仏教と同様な考え方である。
 仏教とバラモン教、後のヒンドゥー教はどこが違うか。ともに輪廻からの解放を説き、修行によって解放された状態、悟りを目指している。仏教は無神論だという主張もあるが、大乗仏教ではヒンドゥー教の神々を取り入れているから、汎神論というのが正確なのではないか。修行の方法も瞑想やヨーガを用い、スートラ(経典)やマントラ(真言)を唱えたりする。唯一の違いといえば、仏教は無我の教えで、肉体の死後は同一性が維持されないとする。一方、ヒンドゥー教ではアートマンは死後も維持されると説く。

参考文献
『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳 岩波書店)


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2018年03月01日

小林良彰の『空海とヨガ密教』

 神格化された弘法大師空海ではなく、資料から浮かび上がる空海像を、想像力を含めて描いた労作。空海は土佐の室戸岬で、虚空蔵菩薩求聞持聡明法を成就した。奈良時代にはすでに密教が導入されていたが、体系化されていない密教であるため、あたかも密教は平安時代に渡来したという誤解を生んでいる。南都六宗は学問仏教だったという教科書の記述も、そうした誤解を助長している。
 空海自身は死の直前まで三論宗の僧侶であり、真言宗の立宗には積極的ではなかったという。それよりも、真言密教を普及させ、他宗を密教化することの方に関心があったようだ。この著作が論議を呼ぶとすれば、空海が『大日経』や『金剛頂経』の上に、『瑜祇経』を置いていたという主張である。深い三昧に達するには、儀礼や瞑想だけでは足りないということだろう。『瑜祇経』とは『ヨーガ・スートラ』に相当する物で、身体技法を用いて三昧に達することを目指すという。
 筆者の主張によれば、真言密教は入口であって、その奥には『瑜祇経』による三昧の境地があるとする。釈迦が到達した悟りに達するには、修禅がぜひとも必要であり、その道場として高野山を活動の地として選んだという。それによって即身成仏も可能になる。『大日経』『金剛頂経』による修行だけではなく、三昧に達するための禅が必要だという点である。
 ただし、これは日本の禅宗のイメージとは異なる。中国の禅僧が武術に通じていたように身体技法を伴う禅であり、そのための鍵が『瑜祇経』にあるというのだ。書物で論じられる日本の密教は『大日経』『金剛頂経』までであるが、深い三昧に導く技法は秘匿されてきたと筆者は見ている。
 自彊術と言えば、道家の導引を参考に中井房五郎が創案したとされるが、筆者は中井が白峰寺に伝わる身体技法を元に、自彊術を公開したものと見ている。日本の密教においても、ヨーガの身体技法が口伝で伝わってきたと考えるわけである。これは必ずしも荒唐無稽な考えとは思えない。というのも、真言宗の大僧正山崎泰廣氏が公開している阿字観の技法でも、部分的にヨーガの身体技法が取り入れられているからである。


主要参考文献
小林良彰『空海とヨガ密教』(学研)
山崎泰廣『密教瞑想と深層心理 阿字観・曼荼羅・精神療法』(創元社)


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