2018年04月08日

『オーラ!? 不思議なキルリアン写真の世界』

 子供の頃、僕は暗い部屋の中で、額の辺りに黄色い輪状の光が見えた。缶詰のパイナップルみたいな形で、内側は紫色をしていた。誰にでも見えるものだと思っていたが、そうではないらしい。高校生になると、オカルトの世界に興味を持ち、暗い部屋でオーラを見る練習をしたりした。手から光は見えなかったが、湯気のようなものが指先から出ているのは分かった。
 一九八〇年代には、オーラを撮る写真というのが流行っていて、僕も撮影してもらったことがある。顔の周りに色のついた光が重なっていた。どのチャクラが活性化しているかによって、光の色が異なってくるという説明だった。撮影方法の詳細は分からなかったが、キルリアン写真の方法を応用しているらしかった。
 人間の掌や木の葉から光を発している写真で、生体のオーラに反応した色の光が出ると言われていた。生物には「気」というものが流れている。気功やヨーガをやっている人なら分かるだろう。それは熱の塊のようなもので、意識によって移動させることもできる。だから、キルリアン写真がオーラを写したものだという説明に、当時は疑問を抱かなかった。
 今回、『オーラ!? 不思議なキルリアン写真の世界』という写真集を見て、その謎が解けた。人の手や昆虫、木の葉、花ばかりか、握り寿司や竹輪、果ては鍵からも不思議な光が出ているではないか。これはオーラでは説明できない。巻末には種明かしがしてあった。被写体に高電圧をかけ、放電を写真に撮るというのである。これなら、湿気のある物なら何でも写せるし、金属が光を発するということも納得できる。
 理系の友人に見せたら、美しい色には興味を示したが、「プラズマでしょ」とすぐに答えが返ってきた。体にたまった静電気が、ドアのノブに触れた途端に、パチッと痺れるのも放電である。ただ感電したり、火傷したりする危険があるので、キルリアン写真を素人が撮るのは危険である。
 キルリアン写真がオーラを写したものではないのは分かったが、これでオーラや気が存在しないということにはならない。動物の神経には微弱な電流が流れているから、生体の外側に磁場のようなものがあっても不思議でない、と考えられるからだ。

参考文献
『オーラ!? 不思議なキルリアン写真の世界』(写真 谷口雅彦 実験・文 川口友万 双葉社)

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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2018年04月07日

ディーパック・チョプラ/ルドルフ・E・タンジ共著の『スーパーブレイン』(2)

 ディーパック・チョプラにとっては、意識は脳が生み出したものであるとする物質主義の立場も、克服すべき誤りである。その反対に、意識が脳を生み出したのだという主張である。その根底には、インド思想と量子物理学が共有する立場がある。
 インド思想のうち、大乗仏教の唯識派では、世界は心が生み出したものに過ぎないと主張する。一方、量子物理学では、量子は波動であるか粒子であるか、確定することができないとされる。観察者の意識が関与することで、確率として存在する可能性が、現実として現れるとされる。人間の周囲に存在する対象は、見えるままに実在するわけではない。固体や液体、気体に見える物も、実際には量子の状態であって、それを観察する意識が物質として理解しているだけである。したがって、意識を変えれば、現実は異なった様相を帯びてくる。
 脳が進化したのも、意識が拡大したからだという。結びつきが強い人間同士は、たとえ空間的に離れていても、生理的に影響し合うことは実験で認められている。独立した脳が意識を生み出しているとしたら、こうした現象は説明できない。個人の意識の底に、共有する精神があるからこそ、空間を超えた情報のやりとりや、共時性といった現象が起こるというである。個人の意識というものは、宇宙に存在する精神という海に立つ波の一つであって、肉体が滅んだとしても、波を生み出した精神そのものは存続すると考えるのである。


参考文献
ディーパック・チョプラ/ルドルフ・E・タンジ共著『スーパーブレイン』(村上和雄監訳/大西英理子訳 保育社)


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2018年04月06日

ディーパック・チョプラ/ルドルフ・E・タンジ共著の『スーパーブレイン』(1)

 一口に東洋思想と言っても、インド思想と中国思想ではかなり異なる。仏教やヒンドゥー教を生んだインドは、現実を超えたものに対する志向が強い。現実や社会秩序ですら解体され、世界を支える原理を探究しようとする。一方、中国の儒教は社会秩序を肯定した上で、理想的な生き方を提示するので、現実を志向する傾向が強い。道教の場合も、社会秩序からの自由を説くが、目指すところは不老長寿で、超越的なものへの志向は必ずしも強くない。
 では、日本の場合はどうかというと、仏教、儒教、道教などの影響を受けているが、宗教家になるか学者になるか、奇人変人にでもならない限り、現実を超えたものを探究することは難しい。なぜなら、社会秩序に対する同調圧力が強く、人並みに生きることが理想とされるからである。一人一人が考えたり議論したりするより、上の者の指示に従ったり、周囲に合わせることがよしとされる。「長い物に巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」といったことわざが生まれたのも、そうした背景があるからで、強い者にはへつらい、弱い者は抑えつけ、反抗する者は叩き潰すか、排除するようになる。
 本書におけるディーパック・チョプラの主張は、インド思想に根ざしたものである。内省して自己の意識を拡大していくという姿勢は、個としての自立が前提としてあるので、同調圧力に屈する態度とは対極にある姿勢である。人並みに生きるというのは、最も忌避すべき生き方なのである。(つづく)


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