2018年04月06日

ディーパック・チョプラ/ルドルフ・E・タンジ共著の『スーパーブレイン』(1)

 一口に東洋思想と言っても、インド思想と中国思想ではかなり異なる。仏教やヒンドゥー教を生んだインドは、現実を超えたものに対する志向が強い。現実や社会秩序ですら解体され、世界を支える原理を探究しようとする。一方、中国の儒教は社会秩序を肯定した上で、理想的な生き方を提示するので、現実を志向する傾向が強い。道教の場合も、社会秩序からの自由を説くが、目指すところは不老長寿で、超越的なものへの志向は必ずしも強くない。
 では、日本の場合はどうかというと、仏教、儒教、道教などの影響を受けているが、宗教家になるか学者になるか、奇人変人にでもならない限り、現実を超えたものを探究することは難しい。なぜなら、社会秩序に対する同調圧力が強く、人並みに生きることが理想とされるからである。一人一人が考えたり議論したりするより、上の者の指示に従ったり、周囲に合わせることがよしとされる。「長い物に巻かれろ」とか「寄らば大樹の陰」といったことわざが生まれたのも、そうした背景があるからで、強い者にはへつらい、弱い者は抑えつけ、反抗する者は叩き潰すか、排除するようになる。
 本書におけるディーパック・チョプラの主張は、インド思想に根ざしたものである。内省して自己の意識を拡大していくという姿勢は、個としての自立が前提としてあるので、同調圧力に屈する態度とは対極にある姿勢である。人並みに生きるというのは、最も忌避すべき生き方なのである。(つづく)


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2018年03月08日

臨死体験の瞑想「イントゥ・ザ・ライト」(5)

 第四部では知識の領域の拡大を図る。いつものようにリラックスしたら、非物質的な肉体が霧となって頭頂から抜け出すさまをイメージする。練習を繰り返すうちに、実際に「体外離脱」するこつが得られるようになる。要するに、肉体の感覚がなくなり、精神の働きのみが盛んになれば、非物質的世界への移行が可能になるのである。
 好きな場所に移動して、辺りの様子をありありとイメージする。思い出の地など懐かしい風景にいるように感じる。行きたいと思ったら、次の瞬間に移動しているのが「臨死体験」の特徴である。次に、その場から飛び立って、今までいた場所を見下ろす。天使になったような感覚である。すると、周りに自分と同じように、空を飛んでいる人たちが見つかる。
 正面に大きなトンネルが見えてくる。これを潜ることで死後の世界をかいま見ることができる。他の人たちを誘って潜っていくと、えもいわれぬ心地よい音楽が聞こえる。その先には光が待っている。魂の故郷に戻ることで、宇宙と一つになるのである。このシリーズの瞑想で最も快いので、楽しんで行うことができる。
 ただ、いつまでも留まっていることはできない。まだこの世でやり残していることがあるのだから。物質的世界に戻るための誘導がなされる。《ゲートウェイ・エクスペリエンス》の場合のように、指を動かしさえすれば、肉体の感覚が戻ってくるのである。


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2018年03月04日

『バガヴァッド・ギーター』について

 これは「神の歌」を意味する。神とはクリシュナ神。悪鬼や悪王を退治した怪力の牧童で、日本の神話で言えば素戔嗚尊(スサノオノミコト)のようなもの。インドは多神教で、クリシュナは宇宙維持の神ヴィシュヌの化身とされる。クリシュナが説いたという教えが『バガヴァッド・ギーター』である。
 インド人が悟りを求める場合、山奥にこもってヨーガの修行をするというイメージが強いが、クリシュナは在家のまま行動することを勧める。相手が武人なら、戦いながらも悟りは可能だとする。肉体は滅びるが、魂(アートマン)は不滅だから死を恐れることはないというのだ。
 在家のままでも、すべてを平等に見る意識を保ち、信仰を持って祭祀を行い、しかも見返りを求めなければ、アートマンは創造神ブラフマンの境地に至ることができる。いわゆる「梵我一如」である。人が神と同一になるというのは、一見不遜なようであるが、神と融合しながら、意識は失わない状態を指すのだろう。これは人が仏になるという仏教と同様な考え方である。
 仏教とバラモン教、後のヒンドゥー教はどこが違うか。ともに輪廻からの解放を説き、修行によって解放された状態、悟りを目指している。仏教は無神論だという主張もあるが、大乗仏教ではヒンドゥー教の神々を取り入れているから、汎神論というのが正確なのではないか。修行の方法も瞑想やヨーガを用い、スートラ(経典)やマントラ(真言)を唱えたりする。唯一の違いといえば、仏教は無我の教えで、肉体の死後は同一性が維持されないとする。一方、ヒンドゥー教ではアートマンは死後も維持されると説く。

参考文献
『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳 岩波書店)


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