2018年02月16日

時を止める湖面(4)

 それにしても、この湖の印象はほとんど変わらない。ただ、ああと声を洩らしたきり、言葉を失ってしまうのだ。言葉を吸い込んでしまうのだろうか。言葉だけじゃない。時すら止めてしまう力がある。二十一歳の時に覚えた感動を、初老の年になっても抱いているのだから。時間なんてものは、古代インド人が考えたように、自我が抱く幻なのかもしれない。あの時の僕と今の僕は、内面ではほとんど変わっていない……。
 人が周りにいなければ、鳥の声、虫の声さえ聞こえる沈黙が支配する。白樺に留まったカラスさえ、辺りの静寂に耳を傾けている。眺めていても飽きることがない。ハイビジョンの4K画面を見ているように、色そのものが快楽なのだから。
 唯一の悩みは、飛んでくる虫だ。季節にもよるのだろうが、羽蟻の数が半端じゃない。払っても払っても飛んでくる。そして、動画を映している腕や顔に留まる。カメラが手ぶれを動かすから、じっと耐えているしかない。 しばらくすると、薄雲が上空に現れた。湖面は幾分白んできて、感動させる青さは薄れる。摩周湖は霧や雲に閉ざされることが多く、くっきり湖面を仰ぐことができるのは運がいい。ただ、摩周ブルーを目にした人は婚期が遅れるというジンクスがある。三度訪れて三度ともくっきり湖面を拝めた自分は、やはり結婚とは縁がない人間だった。(つづく)


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2018年02月15日

時を止める湖面(3)

 いよいよ摩周火山を登っていく。急カーブの整備された道路は、通る車もまばらである。火山の上から三分の一が吹き飛んで、そこに水がたまって摩周湖が生まれたという。山腹からいきなり湖水が見えると記憶していたから、登りきる直前からビデオ撮影を始めたのだが、結局車からは湖水は見えなかった。
 駐車場に車を止めた。硫黄山や屈斜路湖が遠方に見渡せる。ここからの眺めも素晴らしいのだが、木の階段を登っていくと、摩周湖が姿を現した。湖面ははるか下方にある。崖の上から見下ろすといった感じである。これで三度目なのだが、今回も雲一つ、霞もかかっていない。水深が深く、流れ込む川も流れ出す川もないため、水面はほとんど波立たず、空の青をより深くした摩周ブルーである。絶壁に近い火口に、しがみつくように高原植物や、白樺などが生えている。対岸に見える急峻な山が摩周岳、アイヌ語ではカムイヌプリ、神の山という意味である。大きく口を開けた火口は、ここからはわずかしか見えないが、茶色い無気味な喉のようである。
 これほど深い青をたたえる湖は、日本にはほかにない。内側を覆う草木と、無機質なカムイヌプリのコントラスト、中央に浮かぶ小島、カムイッシュは緑で覆われているが、湖底からそびえる火山の頂である。この組み合わせが、摩周湖のブルーをさらに際立たせているのだ。(つづく)


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2018年02月14日

時を止める湖面(2)

 川湯温泉からバスで摩周湖に行く場合、硫黄山を経由するようになっているが、現在では本数が極端に減っている。それは摩周湖へ行くバスも同じで、摩周第三展望台で降りて、次のバスで第一展望台に移動なんていうのも難しくなっている。
 硫黄山の駐車場に友人は車を止めた。僕はこれで三度目になる。初めて来たのは、二十一歳の時だった。サークルの仲間に教えられて、移動車で販売していたソフトクリームを食べた。二度目は三十三歳の時で、開業したレストランで売っていた。今回もまた、乳脂肪分たっぷりのソフトクリームを食べた。
 レストランの裏側では、崩れかけた山体のあちこちから、硫化水素が噴き出している。卵の腐った匂いが漂っている。噴き出すガスで、ところどころ霞がかかっている。平野の真ん中に、何でこんな荒涼とした山が、と思ってしまいそうだが、ここはカルデラの内側である。火口の底を歩いているというわけだ。地下深くには遠い未来に巨大噴火を起こすマグマが、今も眠っているのだ。辺りに響く轟音は、魔物のいびきを聞いているようなものだ。(つづく)


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