2014年03月11日

文章心理学とは(2)

 志賀直哉の文章

・センテンスが短く、その長さが一定していないことから、事物に即して描写を行っているのが分かる。

・直観的に対象をとらえるので、文章は簡潔になり、名詞や助詞の出現率が高くなる。

・直喩が少ないので、視覚的な表象力の弱い人にはイメージがとらえにくいだろう。

 谷崎と志賀の違いに関しては、前者を「散文的」、後者を「詩的」と考えることもできるだろう。谷崎の小説の方が一般受けがよく、志賀の小説を好むのが一部の層に限られるのも、その辺と関連がありそうである。散文詩のような短篇を書いた梶井基次郎が、志賀の文章を手本にしていたというのは、伝記を読んだ方ならご存じだろう。
 同書にはその他、文体研究をしていく上で、示唆的な意見が随所に見られる。たとえば、過去の事実を現在形で記す「歴史的現在」という語法を、「過去の回想が現在のことのように、生き生きとした感動をともなったことを示す手法」と位置づけている点などである。
 現代作家がこれを多用するようになったのは、心理描写を重視していることと関連があるからであり、また接続詞を多用する傾向は、心理的な連続性を文章で再現しようとするためであるという。

参考文献
波多野完治著『文章心理学』(大日本図書)

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2014年03月09日

文章心理学とは(1)

 文章が上手か下手は、言葉によって世界をいかに分節するかにかかっていると、波多野完治は述べている。「文章心理学」という研究分野は、文章の特徴を分析することで、書き手の性格がいかに反映されているかを、見ていこうとするものである。これは文体研究を進める際に、多くの示唆が得られるものである。というのも、文の長さや使用する品詞の割合から、作家の文章が持つ特色が把握できれば、波多野が行った手法に基づいて、他の作家の文章も分析していけるからである。
『文章心理学』と題された本の中で、最も興味を引く論文は、「谷崎・志賀両氏の文章の形態的相違」である。波多野の行った分析結果を、以下に簡単にまとめてみるので、その対照的な特徴に注目してもらいたい。

 谷崎潤一郎の文章

・センテンスが長く、その長さが一定していることから、自身の呼吸に合わせて文章を書いているのが分かる。

・人に分かりやすく説明するので、同じ主体についての説明がくどくなりがちで、そのために動詞の出現率が高くなる。

・説明的に表現するために、読者に理解しやすい直喩も多くなる。絵画的に描いていくその文章は、視覚的な表象力が弱い人向けのものである。(つづく)

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2014年02月24日

ビールは誰のもの?

 日本語の上級クラスで、留学生と一緒に、影山太カ氏の『ケジメのない日本語』を読んでいた。その中で一緒に飲んでいるビールビンが誰のものであるか、ということについて、日米の認識の違いが論じられていた。
 日本人とアメリカ人が、レストランでビールを2本頼んだ。「日本ではビールを相手に注いであげるのが礼儀です」と説明して、日本式に互いにグラスに注いで乾杯した。影山氏はそれに続く状況を、以下のように説明している。

 しばらく飲んでいると、ウェートレスが、空になったビンを片づけるために、やってきた。アメリカ人の前に置いてあったビンがほとんど空いていたので、ウェートレスはその残ったビールを日本人のグラスに注いで、ビンを持ち去ろうとしていた。それを見ていたアメリカ人は驚いて叫んだ。「ちょっと、それはぼくのビールだよ!」

 日本人はビールを共有物と考え、たとえ目の前に置かれたビンでも、自分のものに属するとは考えない。これについてアジア系の学生に訊くと、日本人のように考えているとのことだった。それに対して、ヨーロッパ系の学生は、アメリカ人と同様に考えるとの返答だった。
 もし、互いに注ぎ合っていて、ちょうど1本ずつ飲むべきだと考えていたなら、アメリカ人は自分の飲むべきビールが、日本人の手元にあると考えるはずだと、僕は言った。もしそうだとしたら、なぜ、アメリカ人は不満を言ったのだろう?
 こちらの質問に対して、スウェーデン人は次のように推測した。相手のグラスに注いだのは一杯目だけで、あとは自分の手前にあるビールを飲んでいたに違いない。だからこそ、アメリカ人は自分の手元のビールが、ウエートレスによって、日本人のグラスに注がれたとき、不満を述べたのだと。
 僕はスウェーデン人学生の、状況把握の能力に感服してしまった。このように、教師という者は、往々にして、学生に教えられて成長していくものなのである。

参考文献
影山太カ『ケジメのない日本語』岩波書店


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