2020年03月23日

逆接の表現(pdf)

 外国人が日本語を学習するとき、戸惑うことの一つは類似した表現である。英語圏の学生が和英辞典を引いて、英語で違いを理解しようとしても限界がある。やはり、典型的な例文を覚え、違いがどこにあるのか教師に質問するしかない。
 以前、「は」と「が」の違いについて、「と」「ば」「たら」「なら」の区別について書いた。今回は逆接の表現を取り上げることにする。日本人のように完璧に違いを使いこなすのは難しいので、理解できる用法は最大限に増やして、学習者自身が日本語で表現する場合は、誤用が避けられるように、使い道の広い用法を覚えるようにすればいい。効率的に学習することが早道なのである。また、古めかしい表現は普通の外国人には不要である。
 以下のリンクから、pdfファイルをダウンロードしていただくとして、簡単な説明を付け加えていくことにする。
gyakusetsu.pdf


T 接続詞と接続助詞

「しかし」と「ただし」の違いについて、某日中辞典を見たら、同一の説明をしていて、これでは中国人の学生が理解できないだろうと思った。「ただし」は条件や例外を加える場合に用いるのであって、「もっとも」にも同様の用法がある。
 逆接の表現を含む内容を、「が」や「けれども」を接続助詞として用いて表す場合には1文、接続詞として用いて表す場合には2文となる。接続助詞「のに」と、接続詞「なのに」のように、語形が若干変わるものがあるのに注意する。
「ところが」は予想外な展開に対する驚きを示す。「にもかかわらず」も似ているが、不条理な状況に対する批判のニュアンスを含むので、自分自身について言及するときには用いにくい。相手への批判に侮蔑のニュアンスが加わる場合には「くせに」が用いられる。
「ながら(も)」と「と言いながら」は類似しているが、後者は発言の矛盾を指摘する場合に用いられる。「ものの」はそれ以上、事態か進展しない場合に用いられる。「といっても」は前件から予想される事態に対し、後件の程度が低い場合に用いられる。「ものを」は相手への不満や残念な気持ちを、含意として表す言いさしの表現である。


U 仮定条件と確定条件

「のに」と「ても」の違いも混同されやすいが、「のに」には「確定条件」の表現しかないのに、「ても」には「確定条件」のほかに「仮定条件」の表現がある。
 また、「のに」にタ形が上接して、いわゆる「反実仮想」、現実に反する状況を想定する表現もある。


V 階層性

 南不二男は従属節の独立度を、階層的に分類している。独立度が低い順にA類、B類、C類と分類している。逆接の表現に限って言えば、「ながら」がA類、「のに」「ても」はB類で、「けれど」「が」がC類となる。例文で示した「のに」「ても」の方が、「けれど」「が」より独立度が低い。したがって、独立度が低い「のに」「ても」は、独立度が高い「けれど」「が」の節の中に、入れ子状に組み込まれるのである。


W 「なくて」「ないで」「ず(に)」

 ここでは併せて、「なくて」「ないで」「ず(に)」の違いについても、触れておくことにする。これらは用法から、「なくて」と、「ないで」「ず(に)」に二分される。
 まず、活用を確認しておくと、形容詞系では前項がイ形容詞でもナ形容詞でも、「なくて」の形を取る。一方、動詞では「なくて」「ないで」「ず(に)」のいずれの形も可能だが、用法によって使われるものが異なってくる。
「なくて」は原因や並列の表現にもっぱら使われるが、「ないで」には幅広い用法があり、大抵は「ないで」を使えば間に合ってしまう。「ず(に)」は「ないで」の用法と重なるが、書き言葉で用いられる。
「ないで」が多用される表現としては、「付帯状況」がある。「否定の許可」「否定の依頼」「禁止」「二重否定」などでも、「ないで」が用いられる。


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2019年12月13日

日本語教育能力の判定に関する報告(案)に関する意見

 日本語教師の資格や養成に関する課題について

 日本語教育能力検定試験は、当初、文部大臣認定として実施されていた。ところが、途中から文部大臣認定が外れてしまった。どういう経緯で、文部大臣認定が外されたか、明らかにしてもらいたい。文部大臣認定だから、公的な資格だと考えて受験して合格した人間に対して、無資格だと決めつけるのは納得できない。


 日本語教師の量の確保について

 日本語教師の数の確保のためには、低賃金に置かれた教師の待遇が改善される必要がある。公立学校に対するように、日本語教育施設に対する税制面での補助がなければ、経営の苦しい日本語教育施設の教員の給与面での待遇改善は難しい。専任講師の給与で家族が養える給与が出ないとなれば、若い人材は日本語教師を職業として選択しないと考えられる。


 日本語教師の資格制度「公認日本語教師」について

 日本語教師の公的資格は、創設されて然るべきであると考える。無資格で日本語を教えているというマスコミの報道により、日本語教師を希望する若い人材は得られにくくなっているのが現状である。


「公認日本語教師」の有効期限について

 有効期限を設けることは、教師の質の維持の上では有効であるが、公立学校の教師の場合のように、深刻な人材不足を招く恐れがある。20代で資格を取った場合、10年ごとに3〜4回も資格更新をするとなれば、低収入の現状から見て、志望する学生が激減すると思われる。


 教育実習実施機関及び指導時間について

 教育実習の一部を外部の日本語教育機関に委託する場合、対価が大学等から支払われる制度をきちんと作ってほしい。教壇実習が1単位時間(45分)以上というのは少なすぎる。10単位時間程度行わなければ、教え方のコツを習得することもできないと思われる。


経過措置について

 一定の移行期間とあるが、その期間を明らかにしてほしい。日本語教育能力検定に合格していない教師に対しても、無条件で資格を与えるのが妥当かどうかは疑問である。


更新講習の要件について

 更新のたびに、大学や養成講座に10万、20万も支払うとなると、日本語教師を希望する人材はいなくなると思われる。更新にかかる費用は、税金で補助すべきである。また、休職しないで、仕事を続けながら受講できるようにすべきである。


 試験免除の措置について

 日本語教育主専攻の学生も、「公認日本語教師」の試験を免除すべきではない。主専攻できちんと学んでいれば、当然合格できるはずだからである。


 なお、文化庁が出した「日本語教育能力の判定に関する報告(案)」に関する情報は、以下のサイトで閲覧できます。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kyoiku/ikenboshu/nihongoiken_hanteihoukoku/index.html


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posted by 高野敦志 at 01:14| Comment(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

日本語の連文的機能

 日本語の文章では、代名詞や指示詞を省略する傾向がある。連文的機能が潜在化しており、文と文のつながりを読み手に推測させるのである。日本語の文章を読みこなすことは、決して容易な作業ではない。
 優れた書き手は、目に見えないつながりの糸を絡ませることで、テキストを織り上げていく。ただし、つながりが複雑な場合には、名詞を繰り返すことで誤読を防ぐ。詩的な文章においては、文と文の論理的な関係を示す接続詞も避けられる。
 同じ書き言葉でも、論理的な文章は誤読を避けるために、指示詞や代名詞を多用するが、これには欧米の言語や翻訳文の影響も考えられる。文章の構成への理解を助けるために、接続詞も多用される。
 話し言葉になると、話す方も聞く方も、文と文のつながりを理解する能力が低下する。発話されたそばから、言葉が消えてしまうためである。そこで、誤解の恐れが少ない場合でも、名詞を明示したり、表現を繰り返すことになる。順序立てて話すことは難しく、接続詞を介在させることなく、脈絡のない話が飛び出したりする。
 さて、外国人の書いた日本語がぎこちなくなりがちなのはなぜか。代名詞や指示詞、接続詞を多用すれば、堅苦しい翻訳調の文章となる。誤用すれば、非文になるわけだが、顕在する誤りがなくても、文と文のつながりがなく、文を羅列したような場合がよくある。それは隣接した文と文以外に、離れた文と文の連文的機能まで、目を配る余裕がないためと考えられる。これは外国人の文章ばかりでなく、日本人が書いた稚拙な文章でも言えることである。


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