2020年10月01日

「と」「ば」「たら」「なら」の違い

 人間は似ていることを区別するのが苦手である。フランス語を勉強していた頃、フランス語の単語を思い出そうとすると英語の単語が浮かび、英語でしゃべろうとすると、フランス語の単語が邪魔をした。
 同じようなことは、中国人の日本語学習者が、日本語で文章を書いているときにも起きる。中国語の簡体字が混入してしまうのである。また、中国語で話しているのに、日本語の漢語が混じってしまい、国の友人に怪訝な顔をされたという話も聞く。
 松尾芭蕉の俳句に

 物言へば唇寒し秋の風

というのがある。
 人の短所を言ったりすると、後味が悪いものだという格言のように使われるが、「物言へば」の部分は、現代語なら仮定条件を表す「仮定形」で「物を言うなら」だが、芭蕉の俳句は文語だから「已然形」で確定条件となり、「物を言ったので」ぐらいの意味となる。
 文語の場合、仮定条件を表すなら、「未然形」に接続する。「物言へば」ではなく、「物言はば」となるのである。慣用句の「言わば」は、「たとえて言ってみれば」という意味で、現代語なら、仮定形で表されるところなのである。古典の授業で習ったことを忘れると、この辺の違いが分からなくなってしまう。

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥
  わが思ふ人はありやなしやと

 東京の浅草に言問橋という橋があるが、この和歌は『伊勢物語』の中で、在原業平とされる主人公が、都鳥という名の鳥に向かって、「名前に都とついているなら、都鳥よ、質問しよう、私の大切に思う人は無事かどうか」と問うたものである。都鳥というのはユリカモメのことで、「これなむ都鳥(これこそ都鳥です)」と聞いたばかりだからこそ、「名にし負はば(名前についているなら)と、詠んだのである。

 現代語の「春になれば桜が咲く」は、文語の已然形に由来する「恒常条件」である。「春になると桜はいつも咲く」のである。一般に、「ば」を従属節に用いる表現では、主節に意志や希望、命令の表現は来ない。
「もし雨が降ってくれば、キャンプは中止しなさい」は非文となる。その場合、「もし雨が降ってきたら」というのが正しい表現となる。にもかかわらず、従属節の用言が「ある」など状態性の動詞や形容詞なら、「質問があれば、手を挙げてください」「安ければ、買いたいです」と言えてしまうのである。
 このように、「と」「ば」「たら」「なら」の区別は煩瑣を極め、日本語話者であっても、文法的な使い分けを説明するのは、容易なことではない。
 そこで、「基本的な用法」と「応用的な用法」に分けて整理してみた。網羅的に学習するのは難しいが、よく用いられる表現を一通り押さえておけば、自分が表現する際の誤用は避けられる。上級の日本語を学習している外国人学生や、日本語を教えている方は、参考にしていただきたい。

 以下のリンクからダウンロードできます。
tobataranara.pdf

 iTunesからダウンロードする場合は、マイミュージック→iTunes→iTunes Music→podcasts→当該のフォルダの下に、ファイルが入ります。大部分のパソコンにインストールされているAdobe Readerで読むことができます。

 なお、パソコンのiTunesで「購読」したり、iOSのアプリpodcast(https://itunes.apple.com/jp/app/podcast/id525463029?mt=8)でマイpodcastに登録すれば、確実に新しいエピソードが入手できます。

「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





posted by 高野敦志 at 00:00| Comment(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月04日

縦書き・横書き・段組(2)

 一方、縦書きで段組を採用するのはなぜか。新聞は縦の長さが非常に長い。速読するためには、一行の長さが短い方が有利である。小説や随筆では、段組の必要がない大きさの本が、目の疲労を軽減してくれる。
 にもかかわらず、日本文学全集や世界文学全集では、段組を採用していることが多い。それは書棚に飾るインテリア的な側面があり、本自体が大型であることが多いためである。大きさが威厳を感じさせるということもある。読みやすさが二の次になっているのである。
 縦に長すぎる本では、目の疲労を避けるために段組を設定するしかない。二段の場合には、一ページを読むのに時間はかかるものの、段組の弊害はそれほど大きくない。ところが、某社の世界文学大系は、片手ではとても持てない大きさ、重さがあるため、一ページ三段を採用しているのである。
 こうなると、新聞のように斜め読みをしたくなる。一ページに印刷された情報が過剰なため、一度に読み進められるのは数ページである。目の疲労が重なるため、長時間の読書には耐えられないのである。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en


Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 00:51| Comment(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月03日

縦書き・横書き・段組(1)

 日本語は本来縦書きであり、横書きが普及した現在でも、新聞や小説、随筆はいまだに縦書きである。一方、専門書の多くは横書きを採用している。これは外国語や数式の併記を考えての措置だろう。
 かつて縦書きだった中国語も韓国語も、現代語では横書きを採用している。では、なぜ日本語では縦書きにこだわるのか。それは漢字仮名交じりの表記が関係している。日本語では重要な語句は、漢字またはカタカナで表記されている。視野に入る複数の文章を、一瞬で把握して斜め読みするには、縦書きが有利だからである。精読する小説や随筆にしても、前後の文を視野に入れながら読む方が、理解を深めやすくなる。あくまでも習慣だと言われれば、それまでだろうが。
 では、段組は何のためにあるのか。ページの全体を見渡すためには、一行が横に長すぎると、一字一句を追うしかなくなり、文の前後が把握しにくくなる。そこで、幅の広い本では段組を採用して、横書きの弊害を防ぐのである。パソコン画面の幅いっぱいに流し込まれた横書きが、いかに読みにくいかを考えれば、納得していただけると思う。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en


Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 02:02| Comment(0) | 日本語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする