2019年03月25日

「と」「ば」「たら」「なら」の違い

 人間は似ていることを区別するのが苦手である。フランス語を勉強していた頃、フランス語の単語を思い出そうとすると英語の単語が浮かび、英語でしゃべろうとすると、フランス語の単語が邪魔をした。
 同じようなことは、中国人の日本語学習者が、日本語で文章を書いているときにも起きる。中国語の簡体字が混入してしまうのである。また、中国語で話しているのに、日本語の漢語が混じってしまい、国の友人に怪訝な顔をされたという話も聞く。
 松尾芭蕉の俳句に

 物言へば唇寒し秋の風

というのがある。
 人の短所を言ったりすると、後味が悪いものだという格言のように使われるが、「物言へば」の部分は、現代語なら仮定条件を表す「仮定形」で「物を言うなら」だが、芭蕉の俳句は文語だから「已然形」で確定条件となり、「物を言ったので」ぐらいの意味となる。
 文語の場合、仮定条件を表すなら、「未然形」に接続する。「物言へば」ではなく、「物言はば」となるのである。慣用句の「言わば」は、「たとえて言ってみれば」という意味で、現代語なら、仮定形で表されるところなのである。古典の授業で習ったことを忘れると、この辺の違いが分からなくなってしまう。

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥
  わが思ふ人はありやなしやと

 東京の浅草に言問橋という橋があるが、この和歌は『伊勢物語』の中で、在原業平とされる主人公が、都鳥という名の鳥に向かって、「名前に都とついているなら、都鳥よ、質問しよう、私の大切に思う人は無事かどうか」と問うたものである。都鳥というのはユリカモメのことで、「これなむ都鳥(これこそ都鳥です)」と聞いたばかりだからこそ、「名にし負はば(名前についているなら)と、詠んだのである。

 現代語の「春になれば桜が咲く」は、文語の已然形に由来する「恒常条件」である。「春になると桜はいつも咲く」のである。一般に、「ば」を従属節に用いる表現では、主節に意志や希望、命令の表現は来ない。
「もし雨が降ってくれば、キャンプは中止しなさい」は非文となる。その場合、「もし雨が降ってきたら」というのが正しい表現となる。にもかかわらず、従属節の用言が「ある」など状態性の動詞や形容詞なら、「質問があれば、手を挙げてください」「安ければ、買いたいです」と言えてしまうのである。
 このように、「と」「ば」「たら」「なら」の区別は煩瑣を極め、日本語話者であっても、文法的な使い分けを説明するのは、容易なことではない。
 そこで、「基本的な用法」と「応用的な用法」に分けて整理してみた。網羅的に学習するのは難しいが、よく用いられる表現を一通り押さえておけば、自分が表現する際の誤用は避けられる。上級の日本語を学習している外国人学生や、日本語を教えている方は、参考にしていただきたい。

 以下のリンクからダウンロードできます。
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2019年02月24日

「日本語教師の資格化」について

 日本語教師の資格化については、日本語教育能力検定試験に代わるものが考えられているのだろうか。そもそも、日本語教育能力検定試験に関しては、当初は文部大臣認定だったはずである。いつの間にか認定が外れて、民間の資格試験となっている。しかしながら、日本語文法、語用論、音声学、日本語史、比較言語学、音声学、教材研究など、多岐にわたる出題がされており、新たに作られる資格が国家試験となっても、出題の質は大きく変わることがないと思われる。
 30年にわたって日本語教育能力検定試験合格が日本語教師に必須の資格とされ、それに基づいて日本語教育の現場で働く教師の立場を考慮すれば、たとえ新規に国家試験のようなものが設定されても、日本語教育能力検定試験の合格者は、国家試験の合格者に準じる資格を持つ者として認められるべきである。
 現在、日本語教育の現場では、若手の教師が圧倒的に不足している。その現状を考えるなら、日本語教育の資格化で、長年現場で教えてきた教師の資格を剥奪して、新規の国家試験受験を義務化したりすれば、大きな混乱を招くだけで、日本語教師不足を危機的な状況に陥らせるものと思われる。


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2019年02月23日

日本語教育機関の質の向上・適正な管理

 近年、日本語学校が増設されており、日本語学校の質の低下を不安視する声がある。学生が満足いく教育を受けるには、日本語学校の教育の水準が一定以上に保たれるのは当然と考えられるが、画一的な基準で学校の質を判断することは難しい。
 学生の管理に関しては、在籍者が不法残留しないように、また、学習意欲がある学生のみを就学させるように、各学校が努力をしてきたはずである。告示基準の厳格化を書類面で画一的に行うことは、大きな危険を伴う。日本語教育機関の告示基準に外れるかどうかの審査は、入管から職員が各学校に出向き、授業実態が理想から外れているかどうかを実地に調査してからでなければ、なすべきではないと考える。
 日本語能力試験の合格率で、日本語学校の質を量るというのも、日本語学校の実態を知らない外部者の暴論である。日本語学校の中には、漢字圏からしか学生を集めない学校と、世界中から学生を集めている学校があり、日本語学習の動機にしても、大学進学に限らず、専門学校への進学、日本文化体験、日本での就職など多様である。日本語能力試験のN1は大学進学希望の学生には必要でも、専門学校ではN2でも可能であり、日本文化体験が目的ならN3でも構わない。日本語能力試験の合格率で学校の質を量るというのは、日本語教育の現場を知らない人間の不見識による暴論としか言いようがない。


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