2020年02月09日

平岡篤頼先生のこと

 平岡篤頼先生は評論家、小説家として知られているが、長らく早稲田大学第一文学部の教授を務めてこられた。また、第八次『早稲田大学』の発行人で、雑誌の刊行には私費を投入されておられたという。
 平岡先生の専門はフランス文学であり、学部の学生にはヌーヴォーロマンを教えておられた。「新しい小説」という意味で、ロブ=グリエやクロード・シモンなど、非人間的な視線で無機的な描写をする小説であり、従来の小説からすれば「新しい」かもしれないが、日本人の感性からは受け容れにくい。ヌーヴォーロマンの周縁に位置する女流作家、マルグリット・デュラスの方が、日本人の心に訴えるものがある。
 僕は平岡先生の授業で、デュラスの『愛』という小説を読んだ。詩的で簡潔な文章なので、フランス語が苦手な学生でも読める。ただ、しっくり来る日本語に訳すのが難しい作品である。
 そもそも、フランス語は日本語に翻訳するのが容易ではない。抽象的な言い回しが多く、具体性を好む日本語に訳すのには、原作者の立場になって、もしこれが日本語で書かれていたら、という観点から訳す必要がある。機械的に翻訳していては、ちんぷんかんぷんの日本語になってしまうのである。
 授業の中で、デュラスのIl a plu.という文章を、平岡先生は「雨がやんだ」と訳された。直訳すると「雨が降った」だが、雨がやんだ時点で、「雨が降っていた」ことを認めたわけだから、「雨がやんだ」が的確な訳ということになる。
 当時、僕は文芸専修に在籍していた。小説家やジャーナリストを輩出させるために作られたというのは建前で、平岡先生の話によると、卒業論文が書けない学生を救済するために作られたということだ。平岡先生は文芸演習の授業も担当されており、後藤明生や森敦の小説を読みながら、実際に文章を書く指導もされていた。
 当時の僕はまだ、自分の文章が書けるような段階に達しておらず、ヌーヴォーロマンの直訳のような、味も素っ気もない描写しかできずにいた。小説作法を教える授業を期待していた学生は、いささか拍子抜けしたりもした。本格的に小説の書き方を習いたいなら、カルチャーセンターへ通いなさいと言っておられた。
 文芸専修に進んだ学生の多くは、自意識過剰なところがあり、「我こそは」という意気込みで書いた文章を、平岡先生に酷評されて逆恨みする学生もいたそうだ。「文学部のスロープで待ち伏せされてるんじゃないかと思ったよ」と冗談交じりで話されていた。
 文芸専修の最後の授業で、平岡先生は「このクラスには将来作家になるような人間はいないだろう」と予言された。僕は何くそという気持ちになり、いつかはその予言が外れたことを知らしめたいと思ったものだ。二十代の終わりに、某文学賞を受賞したものの、大きな収穫は上げられぬまま年を取っていった。
 その後、フランス文学関係の場で、何度かお顔を拝したことはあったが、二〇〇五年(平成一七)平岡篤頼先生の訃報に接した。

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posted by 高野敦志 at 03:57| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高野敦志編『高野邦夫詩撰』(ePub)

 高野邦夫は昭和3(1928)年、現在の川崎市幸区に生まれました。太平洋戦争末期に予科練に入隊。戦場に送られる前に終戦を迎えました。戦後は国語の教員を務めるかたわら、詩を書き続けました。日本詩人クラブや俳人協会の会員でした。その詩は自らの戦争体験や動植物、猫や蝶などへの共感、家族、とりわけ母、高野ことへの思いを中心につづられています。中でも『定時制高校』や『川崎』などは、各種の新聞でも取り上げられました。糖尿病や腎臓病と闘いながらも、晩年に到るまで詩作に集中しました。平成9(1997)年、手術後の体力低下に伴う敗血症がもとで亡くなりました。享年は68歳でした。
 すでに長い年月が経ち、父の著作の多くは絶版状態です。そこで、私がそれらから比較的読みやすく、心に響く詩を厳選してここに紹介いたします。下のリンクをクリックしてダウンロードして下さい。なお、原文の改行位置を尊重したために、不自然な位置で改行されて表示された場合は、字の大きさを若干小さくしてご覧下さい。
kunionoshi.epub

 iTunesからダウンロードする場合は、ミュージック→iTunes→iTunes Music→podcasts→当該のフォルダの下に、ファイルが入ります。
 IEでダウンロードした場合は、拡張子をzipからepubに変えて、下記のアプリでご覧下さい。

 ePubはiOSのiPadやiPhoneなどで読むのに適した形式です。iBooksなどでご覧下さい。Windowsでは紀伊國屋書店のKinoppy(http://k-kinoppy.jp/for-windowsdt.html)が、最も美しくePubのファイルを表示します。

 ブラウザからePubを開く場合、Googleのchrome(https://www.google.co.jp/chrome/browser/desktop/index.html)なら、プラグインのReadium(http://readium.org/)をインストールして下さい。
 firefox(https://www.mozilla.org/ja/firefox/new/)にもプラグインのEPUBReader(https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/epubreader/)があり、縦書きやルビなどにも対応しています。
 EdgeではePubは開けなくなりました。

 なお、パソコンのiTunesで「購読」したり、iOSのアプリpodcast(https://itunes.apple.com/jp/app/podcast/id525463029?mt=8)でマイpodcastに登録すれば、確実に新しいエピソードが入手できます。 


以下に高野邦夫の著作を挙げます。

詩集

『寒菊』(1962 五月書房)
『氷湖』(1978 昭森社)
『燦爛の天』(1980 昭森社)
『定時制高校』(1982 昭森社)
『川崎』(1983 昭森社)
『修羅』(1984 昭森社)
『彫刻』(1985 昭森社)
『曠野』(1985 芸風書院)
『銀猫』(1986 昭森社)
『日常』(1987 昭森社)
『川崎(ラ・シテ・イデアル)』(1989 教育企画出版)
『短日』(1991 吟遊社)
『峡谷』(1993 吟遊社)
『鷹』(1994 吟遊社)
『敗亡記』(1995 吟遊社)
『廃園』(1998 遺稿 吟遊社)

句集

『高野邦夫句集』(1987 芸風書院)


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posted by 高野敦志 at 03:23| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月08日

窪田般彌先生のこと

 早稲田大学第一文学部の入学試験の日、試験監督されたのが窪田般彌先生だった。実はそのときはお名前のことは存じ上げず、フランス文学専修の教授だったことを、後日知ったのである。
 学部時代、僕は文芸専修に所属していた。フランスの小説や演劇、言語学の授業は受けたのだが、フランス詩の授業は受けなかった。そのため、窪田先生の授業に出たのは、大学院の修士課程に進学してからだった。
 窪田先生は気さくで、偉ぶったりするのが嫌いな、いかにも詩人という感じの方だった。大正末年にボルネオ島で生まれ、詩作と並行して、ボードレールの詩の研究や、アポリネールの翻訳などを手がけてこられた。カミュの『異邦人』を訳した窪田啓作の弟である。
 普段はもの柔らかな先生だが、フランス語の詩を発音するとき、僕の発音が不正確だったため、「もっと丁寧に発音しなさい」と注意された。先生の厳しい表情を見たのは、その時の一回だけである。血液型はB型だから、自分勝手な奴だとか言われてしまうと苦笑しながら、半ば認めてらっしゃる様子だった。いわゆるマイペースでありながら、確実に仕事をこなされてきたのだろう。
 夏休みが終わった初日、先生は眼鏡をお忘れになった。「眼鏡がないと読めないから、今日は授業にならない」とおっしゃって、学生たちを喫茶店に誘って、コーヒーをご馳走してくださった。自分の研究室の学生を可愛がっておられ、ほめることで学生にやる気を出させてらっしゃった。
「今日は一つ、いいことを教えてあげよう」とおっしゃって、類語辞典というものを教えてくださった。翻訳していて的確な訳語が見つからないとき、類語から探している言葉を見つけるのに役に立つ。それからというもの、僕は角川書店の『類語国語辞典』を買って、暇なときは見るようにしていた。
 僕の日本語の語彙が増えたのは、早い時期に類語辞典の大切さを教えていただけたからだろう。先生の敬愛されていたボードレールも、辞書マニアとして有名だった。
 大学院の修士課程を出てからは、先生にお目にかかることはなかった。二十世紀が終わる頃、先生のことが毎日新聞に出ていた。長らくお住まいのマンションを引き払い、老人介護施設に移られたという。そこでは、おばあさん達に囲まれて、人気者になりながら照れてらっしゃるお姿がうかがえた。それからほどない二〇〇三年(平成一五)、窪田般彌先生は息を引き取られた。


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