2019年01月15日

ニック・ライオンの『シン・アルマゲドン』(1)

 アルマゲドン(ハルマゲドン)とは、『ヨハネの黙示録』で説かれている、世界の終末に行われる最終戦争のことで、映画のタイトルとしては「この世の終わり」ぐらいの意味で使われている。このSF映画では、人工的なエネルギー装置の暴走により、地球近くに宇宙の穴、ワームホールが作られ、地球が呑み込まれて、別の宇宙空間に移動してしまうという設定である。
 そこには二つの太陽が存在し、絶え間なく降る隕石と、高電圧の霧の襲来で、建物ばかりでなく、人間の心身も破壊されていく。たとえ死ななくても、精神に異常を来してしまう。主人公のコリンは、エネギー装置を完成させたが、それを政府に売ることは拒絶した。ところが、陰謀に巻き込まれて、装置は稼働させられて暴走、ワームホールの出現と別の宇宙への移動という大惨事に陥る。
 主人公のコリンは長らく記憶を喪失していた。意識が戻ってからは、地球移動後の現在と、移動前の過去を意識で往来して、惨事がどのようにして起きたかを思い出す。再びエネルギー装置を稼働させることで、ワームホールを再度生み出し、地球を太陽系の元の位置に戻すことに成功する。すると、地球は大惨事など何もなかったかのような、平和な世界に戻っているという結末。(つづく)


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2019年01月13日

さくらももこの『もものかんづめ』(2)

 どのエッセイも抱腹絶倒なのだが、「乙女のバカ心」は絶品である。女の子のありがちな姿もここまで極端になると、ただ者ではないということになる。「バカ心」も天才と紙一重、というわけだ。渡辺徹に憧れてファンレターを出し、返事が来て恋人になり、スキャンダルに発展すると空想するくらいなら、女の子にありがちなことだろう。けれども、理想のボーイフレンドを想像すると、自分も良家のお嬢様になった気分となり、ラブストーリーが展開して、その世界に生きてしまうとなると、少々やばい感じになる。
 しかも「夢みる乙女の日記帳」なるものを二年半も書き続け、余りの恥ずかしさに筆者自身も「バカッバカッ、こんなもん書いてた私のバカ。こんな詩に、下手なカラーイラストまでつけていたのだから死にたくなる」と、笑ってしまっているのだ。
 芸人は自分が笑ってはならず、お客を笑わせるものだと言われるが、物書きは笑ってしまってもいい。そこが文章の特質であり、「バカ心」を表現している段階で、書き手は自身を客観化しており、笑いの壺がどこにあるかとらえている。そもそも、書き手自身が面白いと思わない題材が、読み手にとって面白いはずがないではないか。
 何はともあれ、手に取って読んでみるといい。次から次へと展開する逸話に、時が経つのも忘れてしまう。「そこまで言うか」という内容も含まれており、お堅いお方は目を背けるかもしれない。ただ、そんな人間は、そもそもこの本を手にすることはないだろう。

参考文献 さくらももこ著『もものかんづめろ』(集英社)


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2019年01月12日

さくらももこの『もものかんづめ』(1)

 長谷川町子の『サザエさん』と、さくらももこの『ちびまる子ちゃん』が比較されることがある。『サザエさん』は昭和時代の平均的な家庭をモデルにしているが、長谷川自身は独身を貫いたので、作品は想像の産物である。何十年もアニメが放送されていて、それなりに面白いのだが、リアリティーはあまりない。いくつかのパターンを肉付けしているようで、人物に生気が感じられないのである。また、刺激も中和されている。ファミレスのご飯が、じいちゃんばあちゃんから子供にまで愛されるように、癖のない味付けになっている。
 さくらももこの『ちびまる子ちゃん』の方が、リアリティーが感じられるのは、ちびまる子ちゃんの一家が、さくらももこの育った家庭をモデルにしているからである。ただ、そのままではない。『ちびまる子ちゃん』に出てくるおじいちゃんは理想化された姿であり、現実には意地の悪い、嫌われ者の爺さんであったことは、エッセイ集『もものかんづめ』を見れば分かる。
 タイトルで明らかなように、さくらももこのエッセンスが詰められている。子供の頃、若い頃のさくらももこは、ちびまる子ちゃんが成長した姿であることが分かる。何でも思ったとおりにしようとするが、不思議と人に愛される。それは本人から漂うユーモアが、周囲を和ませるからだろう。(つづく)


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