2020年04月08日

弓削三男先生のこと(2)

 僕は不肖の学生で、フランス文学の研究は修士でやめてしまったが、その後も年末には、先生のマンションにうかがっていた。研究をやめた理由の一つは、フランス語の能力に限界を感じたからだが、もう一つはフランス語の小論文を教えていたフランス人講師の姿を見て、逆の立場で外国人に日本語を教えたいと思うようになったからだ。それが日本語教師としての道を選ばせることになった。
 非常勤講師で働いていた僕の将来を心配した先生は、日仏会館の職員の仕事を紹介してくださった。有り難いお話だったが、日本語教師として外国人学生を教えはじめていたので、お断りしてしまった。数年後、先生はストラスブールの日本人対象の高校で、フランス語の教師をしてみないかとおっしゃった。
「向こうに骨を埋めるつもりなら」ということだった。父に相談すると、行けばいいと言われたが、某文学賞を受賞した直後であること、教えていた外国人学生を見捨てられなかったこと、父母を日本に残していくことへのためらいで、結局、この時もお断りしてしまった。
 その後も、年末には先生のお宅にうかがっていたのだが、ご厚意を二度も無にしてしまったこと、自分だけはフランス文学研究から離れたことで気が引けて、次第に足が遠のいていった。
 2002年(平成14)1月、突然の訃報を耳にした。先生の葬儀は都内の真言宗の寺院で行われた。お顔を拝したのはそれが最後だった。弓削先生が亡くなられた日、奇しくも、同じ仏文科で演劇を教えてこられた岩瀬孝先生も亡くなられた。
「二人つるんで逝っちゃったのよ」と、弓削先生が愛娘のように可愛がっていた教え子がつぶやいた。その後、先生の形見分けをするからという連絡をいただいたが、フランス文学の研究をやめてしまった自分には、資格がないとして遠慮した。


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posted by 高野敦志 at 04:20| Comment(3) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
僕自身、弓削先生とは、学校を出たあとからのことも印象深いです。
翻訳のことでもいろいろ相談しました。

窪田先生や平岡先生の話は、前に読ませていただきました。
この二人の先生の授業は受けましたが、市川慎一先生は授業を受けたことがなくて、顔も分からないです。しかし、市川先生の『フランス語の手紙』(白水社)は、頼りになる本でした。
Posted by 吉澤 at 2020年04月08日 14:57
僕も年を取ったせいか、昔のことがやたらに懐かしいです。僕と一緒に入学して、結局退学してしまったK君は、今頃どうしているんだろう。追分セミナーを出て蕎麦屋に行くはずが、道を間違えて群馬県に出てしまい、そのまま別れ別れになったこともよく覚えています。コロナウイルスの騒ぎが終わったら、一度会いますか。ちなみに、お酒は飲んだっけ?
Posted by 高野敦志 at 2020年04月09日 01:02
コロナが収まるまで時間がかかりそうですが、収まった時に会いましょう。

(天候不順のせいか、こちら、最近しばしば、Wi-Fiが不安定です)
Posted by 吉澤 at 2020年04月11日 21:52
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