2020年03月23日

推敲で削るか増やすか

 かつてこの問題について、島尾敏雄の例を引いて、推敲とは削っていくことであると主張したことがある。表現力の豊かな人間なら、あふれるように言葉が出てくる。ただし、そのままでは枝が密集していて空気の通りが悪い。枝打ちして風の通る道が出来れば、読み手が書かれた文字の連なりから、イメージを広げる余地が生まれるのである。
 この考え方は基本的に正しいが、万能というわけではない。実際に文章を書いてみて読み返すと、言わんとすることは分かるのだが、魂に訴えかけてくるものが弱い場合がある。そのとき、新たに思い浮かんだ表現をプラスすることで、文章の冴えが一変することがある。要するに、書きだした時点ではまだ手探り状態で、書き進むうちに表現したかったことが見えてくる場合があるのだ。
 こう考えてみると、推敲で削るか増やすかは、そのときに書かれた文章の質に左右されていることが分かる。書き足してみて、より良くなるか、削ってしまったらさっぱりするか。その繰り返しを続けていけば、必要なことは書き尽くしつつ、風通しのいい文章を書くコツも得られる。いずれにしても、推敲をしていると、もうこれ以上直せない地点に到達するのだ。
 その感覚が正しいかどうかは、数ヶ月前に書いた文章を読み返せば分かる。推敲の余地がないばかりか、あたかも他人が書いたような印象を得て、自分で読んで感動してしまったら、少なくとも、自分自身にとっては成功したということになる。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:00| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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