2019年12月27日

カルロス・カスタネダの『力の話』

 僕が初めてカスタネダの著作を読んだのは、名谷一郎訳の『未知の次元』だった。実は、原書は同じだったから、『力の話』を読むかどうか最初は迷った。「トナール」と「ナワール」の問題も、一応理解できたつもりだったからだ。
 カルロス・カスタネダの新訳シリーズの完結編として位置づけられた本書は、カスタネダの思想が凝縮している。もし一冊読むとしたら、本書を手に取るべきである。ドンファン・シリーズを読んできて、隔靴掻痒という気がずっとしていた。ドンファンへの疑念と、怒りや哀しみといった感情に翻弄されるカスタネダが前面に押し出され、ドンファンの語る真実は、部分的にしか明らかにされてこなかったためである。
 本書を熟読すれば、カルロス・カスタネダの思想の大枠がとらえられる。以前、『未知の次元』を読んだ時の感想は書いているので、重複しないことだけ語ることにしよう。「トナール」が理性や意識のようなものだとしたら、「ナワール」はフロイトの「超自我」やユングの「集合的無意識」のようなものかというと、それも正確ではない。心理学では個人というものが前提となり、その枠の中で自覚できない部分を、無意識としてとらえ、その深層に「超自我」や「集合的無意識」を想定しているからである。
 カルロス・カスタネダの言う「ナワール」は、個人の枠にとらわれない、宇宙意識のようなものである。「分身」の存在も肯定的に語られているが、「分身」が同時に二箇所に出現するのも、海に喩えられる宇宙意識に、同じような形をした波が現れたようなもので、他の波(意識)から見たら、同じ波(人物)に見えてしまうということなのだろう。
 生身の人間は「トナール」として生きているが、「ナワール」に不用意に触れると、個別性が破壊され、狂気に囚われる恐れがある。創造的な人間のみ、「トナール」にとどまりながら、「ナワール」から「力」を得る術を知っている。戦士と呼ばれる探求者であっても、「ナワール」の深みに身をゆだねると、宇宙意識の壮大さに魅せられ、死の誘惑に抵抗することが難しい。
 カスタネダがこだわってきた幻覚をもたらす植物や、夢見の術も、個人という枠に穴を開ける手段に過ぎず、「ナワール」と向かい合う準備のできた戦士には、通過儀礼のようなものに過ぎないのである。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 04:12| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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