2018年10月01日

米子城趾からの眺望(2)

 米子城は応仁の頃、山名氏によって築城され、戦国時代は尼子氏、毛利氏に支配された。江戸初期に池田氏が鳥取城に入ると、米子城は家老の荒尾氏が城を預かった。明治の初めに廃城となり、天守閣も取り壊されて、石垣を残すのみとなった。
 城趾に続く道は人影がまばら。若者が早足で登っていく。こちらは汗だくになって、目にも入ってしみる。天守閣趾まで登ると、上は涼しい風が吹いていた。中海(なかのうみ)が中央に見え、右方に弓ヶ浜半島が伸びている。福岡にある海の中道も、同じように堆積した砂でできているが、幅はずっと狭いし、建物の数も少ない。
 薄日が射してきた。中海の湖面がうっすらと色づいてきた。あと三十分もいられたら、憂愁を帯びた色になるんだろうが。城趾にはもはや僕と友人の姿しかなかった。
「もう行かないと」
 促されて下山することにした。行きとは違う道をたどっていく。山道の傍らには石仏が並び、札所の番号と四国八十八ヶ所の寺の名前が書かれている。城山大師と呼ばれ、大正期に四国霊場巡りでご利益を受けた住民によって設立されたとのこと。下に行くほど札所の数字は小さくなり、一番札所の下には弘法大師のお堂が建っていた。(つづく)


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posted by 高野敦志 at 00:41| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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