2018年09月12日

ぼくがダライラマ?(55)

 セックス・ヨーガだった。仏が女神と交わってるタンカは、ともに悟りを得た姿を表している。悟る前はともに生身の男と女。ただ、交わればいいというのではない。交わりながらヨーガをすることで、脊髄の下に眠る蛇の力を、頭頂に引き上げるというのだ。
 壁の図像に気を取られていると、女の腕が伸びてきた。話がしたいとか何とか言ってたが、要するに、抱かれたいってわけか、好きでもない男のもとに嫁に行かされる前に。
「猊下、ただ一度でよろしゅうございます」
 女は恥じらって、それ以上言えない。僕は面倒くさくなった。いくら童貞といっても、やり方を知らないわけではない。周囲に役人と坊さんしかいなかったから、性欲だって抑えられてきただけだ。目の前に身を捧げたいっていう女性が現れたら、それを抑えるいわれはない。
 セックスで悟りがえられようが地獄に落ちようが、なるようになれって感じだった。どうなるかも分からなかった。チベットでは手淫の習慣がない。精液が仏になるための菩提心だなんて言われたら、怖くてチンボコで遊べないじゃないか。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 00:18| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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