2018年07月19日

ぼくがダライラマ?(49)

 参詣を終えて表に出ようとしたとき、侍従が寄ってきて押しとどめた。人々は説教を聞きたがっているというのだ。そんな話は聞いていない。当惑したものの、覚悟を決めるしかなかった。ジョカン寺の前は押し寄せた群衆で、身動きができないほどひしめいていた。ぼくの姿を見た途端、人々は合掌し、体をぶつけ合いながら、五体投地の祈りを始めようとした。肘で打たれて顔をしかめ、隣の者を小突き出す者まで現れた。
「私はまだ未熟な修行者に過ぎません……」
 一声を発すると、人々はその場にしゃがみ、ひたむきな眼でこちらを見つめた。ぼくは圧倒されそうになり、足の震えをこらえながら続けた。
「私は何も知らずに、両親の家から連れ出され、山奥の僧院で子供時代を過ごしました。ある日、突然、ラサに迎え入れられ、ダライラマとして、この国を統率する者として生きることを求められました。自分にいったい何ができるんだろう? そのとき、ふと気づいたんです。ダライラマは観音の化身とされているが、観音自身は菩薩であって、修行をしている身であるということを。まだろくに祈ることさえできないのに、と思われるかもしれませんが、悟りの種が自身の中にあることを認めさえすれば、それは自身が菩薩であるということなんです。たとえ、賤しい身分で生まれたとしても、自分の中に悟りの種を見つけ、祈りを捧げていれば、あなた自身も、すでに悟っていることと同じことなのです」(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
http://itunes.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en

Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

posted by 高野敦志 at 02:37| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: