2018年06月18日

ぼくがダライラマ?(48)

 外は星がよく出ている。ちょうど新月であるから、密会の日まであと半月あるということだ。ぼくは平静を保つことを考えた。そのためには、何も考えない方がいい。その間にポタラ宮を出で、ラサの中心にあるジョカン寺に参詣する日も入っていた。当日は強い日射しの中、本堂の前では人々が、五体投地の礼拝を行っていた。駕籠から下りたぼくが、前に進んでいくと、祈りの対象が自分となっていることに気づいた。
 その日初めて、ジョカン寺の本尊である釈迦如来像と向かい合うことになった。これは遠い昔、唐の都から玄宗皇帝の娘、文成公主が嫁入りの際に持参したとされる金像で、釈迦の幼い姿を写したと言われる。金色の王冠にはトルコ石や珊瑚が象嵌され、出家前の王子の装いをしているが、あどけなさが漂う中にも、まなざしは悟りの境地を示している。
 灯明にバターが注がれると、釈迦の顔は闇を照らす光みたいに、一層輝きを増すように思われた。修行はほとんど積んでいないのに、自身の運命を見通していたのだろうか。ぼくが美しい衣装に引かれるのは、うわべを飾ることで、空虚な自分の姿をごまかせるからだ。それに対して、幼い釈迦の方は、内面の美しさが金色の衣装や王冠の宝玉となって表れたのだろう。余りの違いに僕は愕然とし、自分の無知を恥じた。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:44| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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