2018年05月15日

映画『男はつらいよ』について

 今回、山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズ全作を見て、僕自身が感じたことをエッセイの形でまとめることにした。これは一種の「覚え書き」であり、作品自体を見たことがない人にとっては、何の参考にもならないだろう。また、作品の印象を述べるに当たって、どうしてもあらすじに触れざるを得なかった。
 いわゆる「ネタバレ」の問題は、作品について論じる場合には、どうしても切り離すことができない。とはいっても、『男につらいよ』のシリーズでは、余り大きな問題にはならない。久し振りに寅次郎が柴又に戻ってきて、とらやの人たちと大喧嘩をする。飛び出していった旅先で、出会った女性と恋に落ちるものの、相手に振られるか、自ら身を引いて失恋というパターンは、多少のバリエーションを示しながらも、大きく変わるところがないのだから。
 では、なぜ、『男はつらいよ』のシリーズは人気を保ち続けてきたのか。懐かしい昭和時代の下町の人情、旅先で出会う日本各地の風俗を描いたからとも言われるが、車寅次郎という主人公が、堅苦しい日常に縛られないアウトローであるところが大きい。寅次郎のように、他人との衝突を恐れずに本音が言いたい、世間の常識などにとらわれずに、自由気ままに生きたいという願望を、誰でも持っているからだろう。

 では、車寅次郎という主人公は、どのような形で生まれたのだろうか。山田洋次監督は『寅さんの教育論』の中で、『男はつらいよ』を構想した経緯に関して、寅次郎を演じた渥美清の少年時代がヒントになったと述べている。

 渥美さんは、三日ぐらいにわたって、旅館の部屋でごろごろしながら、いろんな話をしくれたんです。いわばその話の内容が、「寅さん」という映画の原型となっていると思うんですけれど、それは主として彼の少年時代の思い出話でした。

 そこから葛飾柴又、帝釈天の参道、団子屋に車寅次郎という不良少年といった設定が自然に浮かんできたという。勉強についていけず、授業が分からなくても、渥美少年には学級の生徒の心をなごますという特技があった。一見役に立たないように思えるものでも、必ず存在する意味がある。何でも杓子定規に扱う平成の世とは異なり、昭和時代にはいい意味でのいい加減さもあった。温かく人の成長を見守る余裕もあった。山田監督が渥美清の死をもって、「男はつらいよ」シリーズの製作打ち切りを決意したのも、車寅次郎という主人公の原型が、少年時代の渥美清にあったからである。

 観客はとらやの人々を家族のように感じ、封切られるたびに、懐かしい人々との再会を喜ぶ。現実の世界におけるように、寅次郎も中年、初老へと年を重ねていく。妹さくらの息子、満男も幼児から小学生、中高生を経て、大学生、社会人へと成長していく。その間に観客自身も人生を重ねていく。毎回、寅次郎が引き起こす騒動と、恋と失恋というパターンを繰り返しながらも、らせん構造のように、時の流れというものを、観客の胸に刻んでいったのである。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 04:13| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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