2016年06月16日

タンカの里レコン(16)

 明かりに照らされたもとで、タンカを芸術として鑑賞するのもいいが、薄暗いお堂の中から、白や極彩色の如来や菩薩、忿怒の護法尊が浮かび上がってくる方が、凄みがあっていい。あたかも心の奥底に眠っていた神仏が、徐々に眼前に姿を現すといった、宗教的な体験に思いを馳せることができるからだ。
 これと似たようなことは、歌舞伎の世界の隈取についても言えるだろう。紅と墨で血管が浮き上がるように描かれた線は、電灯の明かりのもとでは、パンクの若者の風俗を連想させるが、江戸時代に蠟燭の明かりの中から浮かび上がった白い肌と隈取のコントラスト、派手な衣装が薄暗がりから見え隠れするさまは、幻想的な神秘劇を見ている印象を与えたことだろう。市川団十郎が成田山の不動明王の霊験譚を演じたことで、「成田屋!」という掛け声とともに、賽銭が投げ込まれたりするような熱狂を生み出したのも、薄暗い舞台だったからこそと言えるだろう。
 僕は貴重な体験をしたような気がした。お坊さんの機嫌を損じることがないように、堂内はもちろん、お堂の外側すら写真に撮ることは控えた。純粋な信仰とタンカを愛でる心のみを、この寺は受け容れていると思えたから。
 山門の所まで、お坊さんたちは見送ってくれた。ほとんどが小坊主や青年僧だったが、二人ほど年配の僧侶も混じっていた。チベット語で「テゥジェチェ(有り難う)」と言い、
「さようなら」は分からないので、握手をした後、中国語で「再見」と言って別れた。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 03:56| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは

淡々として写実的で読みやすい文章ですね。
現地の情景が浮かんで来ます。

私は子供の頃、作文を書くのが嫌で嫌で
仕方が無かった。
文章を書けば心が見えてしまう。
自分が見えるのだから人も見えるだろうと
思って嫌だった。
だからどうしても書かなければ成らない場合、
写実的な文章ばかり書いた。

井上靖の文章も写実的で好きでした。
写実的な文章の中で何か訴えるものが有る。
そんな作品が好きでした。

今は目が疲れるのであまり長い文章は読めない
ので残念です。
これも反転させたり拡大したりして何んとか
読んで居ます
Posted by グッキー at 2016年06月18日 23:52
グッキーさん、コメント有り難うございます。もう15年ほど前の日記をもとに、旅行記を書いています。基本的には、現実に体験したままですが、構成は多少変えています。
 本当は小説が書きたいのですが、どうも仕事が忙しいのと、若い時のように空想するより、写実的に描く方に説得力を感じるようになってきています。
Posted by 高野敦志 at 2016年06月22日 01:13
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