2020年02月08日

窪田般彌先生のこと

 早稲田大学第一文学部の入学試験の日、試験監督されたのが窪田般彌先生だった。実はそのときはお名前のことは存じ上げず、フランス文学専修の教授だったことを、後日知ったのである。
 学部時代、僕は文芸専修に所属していた。フランスの小説や演劇、言語学の授業は受けたのだが、フランス詩の授業は受けなかった。そのため、窪田先生の授業に出たのは、大学院の修士課程に進学してからだった。
 窪田先生は気さくで、偉ぶったりするのが嫌いな、いかにも詩人という感じの方だった。大正末年にボルネオ島で生まれ、詩作と並行して、ボードレールの詩の研究や、アポリネールの翻訳などを手がけてこられた。カミュの『異邦人』を訳した窪田啓作の弟である。
 普段はもの柔らかな先生だが、フランス語の詩を発音するとき、僕の発音が不正確だったため、「もっと丁寧に発音しなさい」と注意された。先生の厳しい表情を見たのは、その時の一回だけである。血液型はB型だから、自分勝手な奴だとか言われてしまうと苦笑しながら、半ば認めてらっしゃる様子だった。いわゆるマイペースでありながら、確実に仕事をこなされてきたのだろう。
 夏休みが終わった初日、先生は眼鏡をお忘れになった。「眼鏡がないと読めないから、今日は授業にならない」とおっしゃって、学生たちを喫茶店に誘って、コーヒーをご馳走してくださった。自分の研究室の学生を可愛がっておられ、ほめることで学生にやる気を出させてらっしゃった。
「今日は一つ、いいことを教えてあげよう」とおっしゃって、類語辞典というものを教えてくださった。翻訳していて的確な訳語が見つからないとき、類語から探している言葉を見つけるのに役に立つ。それからというもの、僕は角川書店の『類語国語辞典』を買って、暇なときは見るようにしていた。
 僕の日本語の語彙が増えたのは、早い時期に類語辞典の大切さを教えていただけたからだろう。先生の敬愛されていたボードレールも、辞書マニアとして有名だった。
 大学院の修士課程を出てからは、先生にお目にかかることはなかった。二十世紀が終わる頃、先生のことが毎日新聞に出ていた。長らくお住まいのマンションを引き払い、老人介護施設に移られたという。そこでは、おばあさん達に囲まれて、人気者になりながら照れてらっしゃるお姿がうかがえた。それからほどない二〇〇三年(平成一五)、窪田般彌先生は息を引き取られた。


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posted by 高野敦志 at 01:00| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする