2019年12月18日

ぼくがイヌ派だった頃(36)

 大五郎はお咎めもなく、晩年を過ごすことができた。ほどなく新居が完成し、家族が引っ越したのは、その年の暮れのことだった。以前の場所につなげなくなり、大五郎の犬小屋は北東側に移された。いわゆる鬼門の方角で、大五郎に家の守護をしてもらおうと思ったわけではないのだが。
 新居ができて大喜びのはずなのに、カナダや北海道へ引っ越しを繰り返し、家を建て直すからと呼び戻した妹が、「やはり私はここに暮らせない」と言い出し、北海道に旅立ったのは、新居ができて一ヶ月後のこと。妹を溺愛していた父は、内心落胆したであろうに、妹のわがままを許した。
 さて、大五郎にはそんなことは理解できないと思っていた。犬には言葉が通じるのだろうか。「お散歩」と「ご飯」は分かったようだが、パブロフの犬の実験でも明らかなように、これは条件反射に過ぎない。なぜなら、犬には言語能力がないからだ。
 鳴き声で仲間同士コミュニケーションしているといっても、意味を持つ最小の単位である形態素と、それを分解した意味を持たない音素の組み合わせで、無限の表現を可能とする「二重分節性」がなければ、言語とはいえないのである。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 01:16| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする