2019年12月08日

映画「鉄道員(ぽっぽや)」について

 浅田次郎の同名小説が原作。降旗康男監督、高倉健主演。かつて炭鉱で栄えた町、幌舞を終着駅とする赤字ローカル線で、幌舞駅長を務める佐藤乙松が主人公。乙松は愚直な鉄道員で、若い頃は蒸気機関車でかま焚き、機関士を経て、廃止直前まで駅長を務める。撮影は根室本線幾寅駅で行われた。二〇一六年(平成二八)の台風で根室本線は不通となり、幾寅駅を含む富良野〜新得間は廃止予定。
 冒頭から衝撃的な場面が続く。妻静枝が十七年目にして授かった娘、雪子を死なせた場面。次いで、妻の死。その間も、ひたすら幌舞駅で鉄道の発着業務を行う。定年間近になり、幌舞線の廃止も決まる。行く宛もないまま、再就職の勧めも断る。
 頑固で真面目一筋、愛情の表現も下手だが、強烈な精神力を持っている。僕の亡父は昭和一桁生まれで、ちょうどそんな感じだった。乙松の生きざまを見て父のことを思い出した。晩年、自分の人生を振り返り、失敗の連続だったのではないかと悔いていた。しかし、その時、その時を必死に生きており、思い返せば、懐かしい思い出も多くあったに違いない。
 幌舞駅を訪れた娘が、実は死んだ雪子だったという辺りで、物語は現実と非現実の境界を越える。女学生姿で現れ、鍋料理を作ってくれた雪子は、幻だったと悟る乙松。しかし、テーブルには鍋料理が並んでいる。
 次の場面で、ホームに倒れた制服姿。上に雪が積もっている。乙松は殉職したのだった。廃止を目前とした幌舞線で野辺送りされる。結末も余りに衝撃的だった。
 炭鉱で栄えた町は、廃坑で過疎化が進む。しかし、ローカル線の駅舎は、人情が通い合う町の坩堝だった。無駄や大まかさが見過ごされたからこそ、人情が通い合うゆとりがあった。すべてが合理化された昭和の末に、北海道を網の目のように結んでいた赤字ローカル線は、大半が姿を消していった。
 この映画に漂っていたのは、僕が青春を過ごした昭和の空気だった。死で始まり、死で終わった「鉄道員(ぽっぽや)」は、昭和という時代に贈る挽歌である。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 04:03| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする