2019年06月16日

ぼくがイヌ派だった頃(5)

 夏も終わりに近づき、うだるような暑さが和らぐと、母に連れられ丘の外れにある谷間へ出た。狭い下り坂の両側には、樹齢数百年の杉の並木が日陰を作り、ひんやりする霊気を漂わせていた。ささくれた樹皮の面には、ヒグラシが止まっており、物悲しい弦楽器の音を響かせていた。
 うねるような脇道を進むと、納屋の奥には藁ぶきの農家が現れた。縁側の戸はすべて開け放たれ、古い柱のそばでは頬かぶりをし、藍の着物にもんぺを履いたお婆さんが座り、キュウリの棘を削り落としているのだった。庭先では卵を採るための茶色の鶏のほか、白い体に黒く立派な尾羽を立てたチャボも、地面にまかれたえさをついばんでいた。その日、母はもいですぐのキュウリとナス、産み立ての卵を譲ってもらいに、知り合いのお百姓さんを訪ねたのだった。
「野良さ出かけて、誰もいねえんだ」
 お婆さんは太い枝を切っただけの杖をつき、ただでさえ曲がった腰を、さらに「つ」の字に折って、庭の陰や庭石の後ろなど、鶏が卵を隠しそうな所を見ては、一つ一つ竹のザルに集めていった。
「ほら、触ってみい」
 脇からのぞき込んでいたぼくは、渡された温かい卵を、落とさぬように掌で包むと、頬にも当ててみた。そのお婆さんも、ほどなくして亡くなり、藁葺きの家も田畑が高く売れたおかげで、成金趣味のお屋敷に建て替えられた。クロと走り回った丘も造成されて、今では団地が建ち並んでいる。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:02| Comment(0) | 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする