2019年02月02日

太宰府天満宮に詣でる(2)

 ただ、これを聞いて違和感を覚える方もおられるだろう。日本の神は死を穢れとして忌み遠ざけるのではないか、太宰府天満宮の社殿の下に墓所があるというのは、どういうことなのだろうかと。
 もっとも、ここが今のような神社となったのは、明治以降のことである。それまでは安楽寺天満宮と呼ばれていた。江戸時代までは神仏混淆の寺院で、菅原道真直筆の法華経が祀られ、講堂、仁王門、本願寺、法華堂などを擁していた。道真の墓所を囲むように仏殿が配され、その中心に天満宮が建っていたというわけである。
 廃仏毀釈で安楽寺は廃寺となり、すべての仏教施設は排除され、道真直筆の法華経も焼き捨てられた。明治以降は太宰府神社と呼ばれ、天満宮とふたたび名乗れるようになったのは戦後のことである。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 11:31| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする