2019年01月03日

ぼくがダライラマ?(62)

 摂政が去ると、入れ替わりに侍従が、パンチェンラマの書簡を持ってきた。師はラサの西にあるシガツェで、政務を執られているため、ここ数ヶ月お目にかかっていない。その間にぼくはすっかり、師のことを頭の片隅に追いやっていたのだ。文字を目で追いながら、師の声がよみがえってくるのを感じた。

 灌頂を授けた師と弟子は、目に見えない力で結ばれている。私が心で念じることは、すぐさまそなたの胸の内に届く。魂の海は広大であり、私とそなたの心は、隔てられることなくつながっているのだ。
 何かつらいことがあれば、眼前に私の顔を思い浮かべよ。そなたの思いの丈を、私の像に向かってぶちまけるがよい。知恵を授かりたいときは、頭上に私や、歴代のダライラマの姿を思い浮かべるのだ。そうすれば、霊妙な加持の力によって、仏の知恵と勇気が流れ込むのだから。

 ぼくは涙を流した。これほど自分のことを気遣ってくださっているのに、ぼくときたら、師のことをないがしろにして、摂政の娘に心を奪われていたのだから。しかも、瞑想の修行を茶化すような戯れ歌を作って、得意になっていたのだから。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:40| Comment(0) | 連載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする