2018年10月15日

出雲大社に三重塔?(4)

 宝物館に入った。そこには古代の神殿を支えていた、三本の大木を寄せた大柱の発掘された現物や、高さ五十メートル近かった神殿の模型も展示されていた。現在の境内だけ見ていると、信じられないかもしれないが、古代には木の陸橋が高層ビルの高さの神殿まで伸びていたというわけだ。鳥居を抜けて坂道を下る参道も、天上の神殿へ向かう陸橋があったことを考えれば、納得がいくのではないか。
 平安時代以降、神仏習合の影響で神社は寺院の支配下に入る。日本の神は仏が仮の姿で現れたものだとする本地垂迹説が広まる。伊勢神宮や出雲大社のような、日本を代表する神社も例外ではなかった。戦国時代には尼子経久が、出雲大社の境内に三重塔を建立した。その姿は江戸初期の絵図には描かれている。しかし、将軍徳川家綱の時代には除かれたという。
 明治の初めに日本を席巻した、廃仏毀釈の走りと言えるだろうか。確かに仏教色を除いた点では同じである。ただ、これは神仏分離であって、三重塔を破却したわけではない。兵庫県養父(やぶ)市の名草(なくさ)神社は、出雲大社の遷宮に巨木を奉納した謝礼として、解体された三重塔が移築されたのである。せり上がった茶色の屋根に朱塗りの柱、白壁のコントラストが美しい仏塔である。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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posted by 高野敦志 at 02:46| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする